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松平容保・失敗の研究~京都守護職という選択

2015年02月13日 公開

瀧澤中(作家、歴史研究家)

PHP文庫『「幕末大名」失敗の研究』より

松平容保
 

松平容保の4つの問題点

松平容保の京都守護職在任期間は、5年と数ヶ月。

ところが、この5年余は日本の政治史上、とんでもない時期にあたる。

文久2年(1862)12月に京都に着任し(発令は同年閏8月)、慶応4年(1868)1月に鳥羽伏見の戦いが起きるまで、あきれ返るくらいの出来事が起きた。主なものだけでも以下の通りである(すべてではないが、京を中心にした事件や政変が世の中を動かしていた。その渦中に松平容保はいたという意味で、見ていただきたく列記した)。

・文久2年(1862)
 12月、高杉晋作らによるイギリス公使館焼き討ち。

・文久3年(1863)
 3月、徳川家茂将軍上洛。
 5月、長州藩、攘夷実行のため外国船砲撃。
 7月、薩英戦争。
 8月、天誅組の変(尊皇攘夷派の大和での決起)。
 8月18日の政変(長州藩などの京追放)。
 10月、生野の変(但馬での尊皇攘夷派の挙兵)。

・元治元年(1864)
 3月、天狗党の乱(水戸藩尊皇攘夷派の騒乱)。
 6月、池田屋事件(新選組による長州藩士らの捕縛・斬殺)。
 7月、禁門の変(長州藩による京都守護職・松平容保排除などを目的とした事変)。
 7月、第一次長州征伐。
 8月、馬関戦争(英仏米蘭4カ国による長州攻撃)。

・慶応元年(1865)
 9月、英仏米蘭、兵庫開港を要求し軍艦で兵庫来航。

・慶応2年(1866)
 1月、薩長同盟。
 6月、第二次長州征伐開始。
 8月、徳川家茂死去により征長中止。

・慶応3年(1867)
 10月、大政奉還。12月、王政復古の大号令。

・明治元年(慶応4年。4月に改元。1868)
 1月、鳥羽伏見の戦い。

このすべての時期を詳細に見ていくのは、本書の趣旨ではない。

激動の時代の中で、資質清廉な君主がどのように振る舞ったのか。そして、折々の松平容保の決断や差配の失敗について触れるのが目的である。

大きな問題点として、以下を取り上げたい。

第一に、そもそも松平容保は京都守護職として適任であったのかどうか。

第二に、結果として松平容保が京の政界で徳川を擁護しきれなかった要因は何か。

第三に、鳥羽伏見の戦いで勝利する可能性はなかったのか。

第四に、会津戦争は避けられなかったのか。

以下、順に見ていきたい。

君主は何か原因で賞賛され、また批難されるのか >


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