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松平容保・失敗の研究~京都守護職という選択

瀧澤中(作家/政治史研究家)

2015年02月13日 公開 2023年01月19日 更新

君主は何か原因で賞賛され、また批難されるのか

筆者は、松平容保の個人としての純真さや忠誠心をまったく疑わない。どころか、実際にはそう多くない、時代劇に出てきそうな家臣思いで利他の君主は、幕末雄藩の中でもほとんどその例を見ない。

後世、会津藩の「生きざま」が評価されることの要因の1つは、松平容保の個人的な清節さにあると言える。

今筆者が「個人的な」と断ったのには理由がある。

個人としていかに優れた人間であろうと、与えられた役職に適任であるか、あるいは与えられた任務を遂行する上で個人的な性格が災いしないかどうか、という点を考えさせられる好例でもあるからである。

マキャベリの「君主論」に、以下の指摘がある。

人間、ことに君主は、何が原因で賞賛され、また批難されるのか。

「1人の君主が、これらの気質(憐れみ深い、気前が良い、義理堅い、人間味がある、堂々としている、信心深い等。筆者註)をすべて持ち、これをりっぱに守ってゆくことは不可能である」

だからこそなおさら、君主は汚名を避ける必要がある、という。

しかし。

「1つの悪徳を行使しなくては、自国の存亡にかかわるという容易ならぬ場合には、悪徳の評判などかまわずに受けるがよい」

と、まさにマキャベリズムの真髄的なことを述べている。

君主は悪評も気にするな、とマキャベリが言うその真意は何か。

「たとえ美徳のように見えることでも、これを行っていくうちに自分の破滅に通ずることがあり、他方、一見、悪徳のように見えても、これを行うことによって、自分の安全と繁栄がもたらされる場合があるからである」(マキャベリ著・池田廉訳『君主論』)

この場合の「自分」は「国家」も意味している。だから、国家全体のためにも悪徳と思われることをやらなければならないこともある、というのがマキャベリの主張である。   

逆に言えば、国家国民のために、美徳を行わない、という選択もあるという意味でもある。
 

「貧乏くじを引くな」

そこで、松平容保に戻りたい。

容保は京都守護職を引き受けるにあたって、再三これを拒否するが、前述のように松平春嶽に説得されて引き受ける。会津藩の家老たちにとっては、混乱する京都政界に自分たちの主君が巻き込まれることは、イコール会津藩が巻き込まれることであり、絶対に承諾できるものではなかった。しかし、容保は家老たちに言う。

「台命しきりに下り、臣子の情宜としてももはや辞することばがない」

「はじめ余が再三固辞したのを一身の安全を計るものとするものがあったとやら。(略)いやしくも安きをむさぼるとあっては、決心するよりほかあるまい」(山川浩〈会津藩家老〉著・金子光晴訳『京都守護職始末』)

この中で容保は、「藩祖・保科正之の教えに従って、徳川宗家を守らなければならない」とも述べている。

容保は、幕府からの再三の要請を断ることは親藩の大名としてこれ以上、情宜の上からもできないと言い、また、「安きをむさぼる」という悪評を気にしていたことも吐露する。

はたして、これは君主として正しい判断か否か。

権力基盤が大きく変動する時期、一番賢いのは成り行きを見守りつつ、勝つ方に味方するということ。それで言えば、火中の栗を拾いに行くような京都守護職就任は、是が非でも拒否すべきであった。

会津藩は東北に位置し、国元と京の連絡も容易ではない。

離れていればそれだけ資金も必要になる。

幕府から援助を受けたとしても、人的な補助までしてくれるわけではないし、もちろん経費のほとんどは実質的に会津藩が引き受けねばならない。

当時最も京都守護職に適任だったのは越前の松平春嶽であり、譜代筆頭という意味では彦根の井伊家であった。だが、春嶽はハナから京都守護職になるつもりがなかったし、彦根藩は、先年暗殺された井伊直弼に対する攘夷派の憎悪があって不可能。溜間詰大名でいえば、高松の松平家や岡崎の本多家、姫路の酒井家もあったが、いずれも適任とは言い難かった。

選択肢として残った会津藩が、精強な家臣と幕府への忠誠心を評価されて押し付けられたのが実情である。

政治状況が幕府にとって悪化する中で、その最前線の役職就任を打診されて受けるべきかどうかは、難しい判断を伴う。

マキャベリ流に言えば、「貧乏くじを引くな」ということになる。

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