是枝裕和 × 坂元裕二~世界といまを考える
2015年06月23日 公開 2018年06月08日 更新
最新作『海街diary』が公開中の是枝裕和監督が、リリー・フランキーさん、山田太一さんら「映像」に携わる表現者と語らった対談集『世界といまを考える1』が好評発売中です。その内容を紹介する特別企画の第2回は、テレビドラマ『東京ラブストーリー』を始めとして、『それでも、生きてゆく』などの話題作を手掛ける脚本家・坂元裕二さんとの対談。題材の選び方にシンパシーを感じ合うふたりの話は、「いま」の時代に作品をつくることにも語られて――。その一部をどうぞ。
「映像」の表現者と世界といまを考える
是枝――坂元裕二さんも尊敬している現代の脚本家のひとりだ。自分がいま生きていて、何に引っかかるかというポイントがとても自分に近いように思う。特に2010年の『Mother』、11年の『それでも、生きてゆく』、13年の『Woman』などは、題材の選び方にシンパシーを感じた。脚本家(坂元さん)と演出家(僕)という立ち位置の違いはあれど、あまり言葉を重ねなくてもたぶん理解し合えるんじゃないか、とずっと思っていた。実際にお会いしてみたらとても繊細な方だった。1991年の『東京ラブストーリー』からほぼ四半世紀を経るのに、なおこの繊細さを持つところが、彼の強さなのかもしれない。
現実と作品を分けて考えつくしたのち
是枝 『Mother』(*1)、『それでも、生きてゆく』(*2)、『Woman』(*3)など、そのまま放っておくと父親、母親になれない人たちが、なろうと努力する話が多いですよね。それは意識されて書いているんですか。
坂元 たぶん(笑)。僕は本質的にはひとりが大好きで、放っておけばずっとひとりでいられるタイプなんです。でも、いつからかそれがいいとは思わなくなって……。ドラマの主人公たちが、努力して人と会ったり話したり、あるいは努力して結婚したり父親になったりするのは、自分がそうできないタイプだからこそ、自然と出ているのかなという気はします。『それでも、生きてゆく』の瑛太くんが、「気さくに人に『カラオケ行かない?』といってみたい」などというのは、まさに自分にもある部分というか(笑)。
是枝 それは時代的にそういう人たちが増えているというより、自分のなかからということなんですね。
坂元 30年前でも同じことを書いていたと思います。自分のことを書いているというより、個人的なことを書こうという意識が強いです。「生きづらそうな人を描くね」「不器用な人を描くね」とよくいわれるけれど、それを描こうとしているのではなく、一生懸命人と付き合おうと努力している人を描きたいと思っているんです。
是枝 「社会派」といわれるのはあまり好きではないんじゃないかと思いつつ、あえて尋ねますが、『それでも、生きてゆく』と『Woman』は社会または家族において加害者になった人間と被害者になった人間が、相対し、一緒になっていく話ですね。それもけっこう意識されていますか。
坂元 もともと僕はトレンディドラマから始めていて、そのころから大きな事件が起きるわけではなく、男女の好きだ嫌いだを延々と書いている。そのスタンス自体は変わらないんだけど、10年ほど前に何かで、男女がキスをしている後ろで車が燃えている一枚の写真を見たんです。それを見たときに、「ラブストーリーでも男女だけで成立するわけではない。社会で起きているいろんな出来事が作用するし、逆に男女の間に起きていることが社会にも作用している」と妙に腑に落ちたんですね。あのころから「個人を描くときにその背景は真っ白ではない」ということをどこか強く打ち出している気がします。
是枝 僕は『それでも、生きてゆく』を観たときに非常に衝撃だったんです。なぜかというと、2001年に『DISTANCE』(*4)という非常に実験的な作品を撮って、正直あまりうまくいかなかったんですけど……。
坂元 大好きな作品です。
是枝 ありがとうございます。その作品で加害者遺族というものが社会のなかでどう存在しているのかを描こうとしたのですが、残念ながらあまりうまくいかなくて。それで坂元さんの『それでも、生きてゆく』を観たときに、すごいなと。これだけ正面から難しいテーマを扱い、しかも連ドラという形で実現されているというのは、どういう戦略を持ち、どういう苦労のなかで成り立っているのだろうと、ずっとお聞きしたかったんです。
坂元 あのドラマはまったく先のことを考えずに書いたんです。あるときディレクターの永山耕三さん(*5)と飲んでいて、「妹がある日学校から帰ると家にマスコミが集まっていて、兄が逮捕されていた。その妹は、兄が出所後も犯罪を犯すに違いないと信じている」という企画をやってみないかといわれた。僕には、題材に真摯に向き合うこととは別に、連続ドラマになるかならないかという線引きがあるんですが、そのとき「これはなる」となぜか思ったんです。それで先のことはまったく何も考えずに第1話を書き始めた。1話のラストがどうなるかも考えず、もちろん最終回がどうなるか、途中はどうなるかも考えず、ただひたすらひとマスひとマス埋めていったんです。昔、あるドラマで子どもが死ぬ場面があって、そのプロデューサーに「子どもが死ぬ場面をドラマでやるなんて信じられない。あんた最低だ」と飲みの席で絡んだことがあったんですが(笑)、それを自分がやることになるとは……。わかろうとしたり、わかった気になってはいけないと思いました。自分にできることは、とにかく真面目に書く、ということだと。ところが第3話を書いている最中に東日本大震災が起きたんです。
是枝 そうなんだ。
坂元 そのときに、とにかく現実に起こっていることと、いま僕が書いていることは違うんだ、と分けて考えるようすごく意識しました。やはりあれだけのことが起こると、作品にある種のメッセージを込めたり、あるいは寓話的にメタファーのようなことを描いてしまいがちになる。そうしないよう、とにかく集中して、登場人物のことをひとマスひとマス書こうと。
是枝 ああいう心理を書いていくときに、実際にあった事件のノンフィクションや裁判資料には目を通すんですか。
坂元 子どもを亡くしたお母さんの手記や、それに関わるノンフィクションを読みました。でもどれを読んでも、表面的にはどこかで見聞きした言葉しか見つからなかった。判断の難しいことですが、書かれてあった言葉は物語性が強くて、映画やドラマの台詞のように感じられたんです。既存の言葉にはめこむとすっきりとするけれど、失われた想いもあるんじゃないかと思いました。だから被害者家族の大竹しのぶさんの台詞を書くときに、どこかから借りてきた言葉ではない言葉があるはずだと考えながら書きました。そういうとき、言葉にならない想いを書くことが何らかの救いになるかもしれないという期待はあります。でもそれを書く動機は僕個人の欲望ではあるし、つくり手の独善ではないかという想いも併せもっていて、いつも怖いです。できもしないことをやりつづけている印象です。何よりわからなかったのは、加害者の気持ち。それは本当に何を読んでも書いていないことで、最後までまったくわからなかった。
是枝 最後までわからない、というのがすごいなと思う。「わかった気にならない」という坂元さんの倫理観が、ドラマの後半に特に色濃く出ていたと思います。でもさすがにスタッフからの反対意見はあったのでは?
坂元 プロデューサーとかディレクターですか? いや、あのドラマのときはなかった。『Mother』やほかのドラマは「これはやり過ぎだ」とか「もうちょっとわかりやすく」という意見があったんですが、震災という社会的なことが影響したのか、僕がどこまで行っても誰も止めなかった。
是枝 すごいな。
坂元 たとえば大竹さんと風吹(ジュン)さんという、被害者側と加害者側の母親が初めて会うシーンがあって、最初は劇的に感情が溢れる感じで書いていたんです。でもディレクターが「もっと日常的なことでいいんじゃないか」といってくれて、それでふたりでそうめんをつくって食べるシーンにした。そんなことは普通はあり得ません。ディレクターというのは、もっと劇的にしたり視聴者にわかりやすいものにしたがるのですが、このときはいってみればリアルさを求めてくれた。それはすごくうれしかったし、たぶんそこから自分自身もひとつの手法が見えて、最後まで行けたのかなという気はします。
是枝 そうめんのアイデアは演出家ですか。
坂元 そうめん自体は僕が書きました。
是枝 なるほど。そうめん、お好きですよね(笑)。それはなぜですか。
坂元 ……『それでも、生きてゆく』も『Woman』も夏のドラマだから?
是枝 でも、すごく印象的にそうめんを食べる。
坂元 確かに(笑)。食べる場面はすごく好きで、よく書きますね。ドラマを観ていると道端とか公園で何もせずにしゃべるシーンがよくありますが、僕はとにかく公園が嫌い。ロケがしやすいというだけの場所でしゃべらせるのはやめてほしい。立ち話なんて人はしないし、立ち話なら立ち話でする話というのがあるし、公園で話すことって公園で話す内容のことだと思うんです。僕はとにかく、部屋にいたら料理しながらとか拭き掃除をしながらしゃべらせる。それは是枝監督から影響を受けて、学んでいることでもあるんです。
是枝 いえ、そんな。『Woman』でも田中裕子さんがすごい食べ方しますよね。どんなふうに食べるかまで脚本に書いているんですか。
坂元 いや、「そうめんを食べる」としか書いていないです。裕子さんは『Mother』のときに芦田愛菜ちゃんに「ご飯を食べるときはこうやって食べて、ここに詰めたら台詞が出るよ」と教えていらしたと聞いて、素敵だなあと。それは裕子さんが久世(光彦)さんとの共同作業のなかで学んだことなのかなと想像しています。
是枝 久世さんですね。(樹木)希林さんも「私は食べながら台詞をいうのは得意だから」と、とにかく頰張ってくれる。ほかの役者さんは、台詞のタイミングまでに飲み込んで、台詞をいおうとするんですが、希林さんは意識的に台詞までに思い切り入れるんです。あと『Woman』で、裕子さんが足を怪我した小林薫さんの病室に見舞いにいって、持ってきたものを袋から出して置くシーンがありましたね。何気ないんだけど、新しいティッシュの箱を出して、ベリベリと取り出し口を剝がしたあとに、なかのティッシュをちょっとだけつまんで置いた。
坂元 それはもちろん(脚本での指示ではなく)裕子さんですね。
是枝 これ、現場で見ていたら、すごく感動するなと思った。裕子さんは何気ない行為を通して、演じる役の人となりを出してきますよね。
坂元 『Woman』のときはお腹が少しだけ膨らんでいるように見えました。もしかしたら何か入れてらしたのかなとスタッフサイドで話していたんです。裕子さんのお芝居はいろんなことの積み重ねでできあがっているんだなと感じましたね。
《PHP文庫『世界といまを考える1』より抜粋》