借金40億円!瀕死の企業を立て直す
2015年09月01日 公開 2023年03月08日 更新
『ある日突然40億円の借金を背負う―それでも人生は何とかなる。』より
「5年だけ」の勝負―あきらめるのは、まだ早い!
グループ33店舗にたつた2人の店長
私が会社を引き継いだとき、湯佐和は主力の海鮮居酒屋のほか、牛丼の吉野家のフランチャイズ店、洋風居酒屋、回転寿司、カラオケ、サウナ、雀荘など、なんでもありの33店舗を展開していた。当時、日本全国にこういう会社は多かった。経営ノウハウやその分野への情熱もなく手当たり次第に事業を広げている場合も多く、うちのようにうまくいかないところも多い。
しかし、湯佐和の場合はそれ以前に、組織の体をなしていなかった。
まず、店長が2人しかいなかった。店舗は33あるのに、店長は2人。
明らかにおかしい。性格も大人しく、強いリーダーシップを発揮するタイプにも見えない2人が、押しつけられた便利屋のような格好で、全店舗の店長を兼任していた。
つまり、店舗は実質的に「自動営業」―要するにほったらかしだった。
各店舗には、スポーツ新聞の三行求人広告《板前急募》で集めた流れ者の板前が2~5人ほど常駐し、金銭管理とお客様対応は、責任感の強いパート社員の女性に押し付けられていた。
売り上げ20億の企業を統括する本部は、前述のとおり、女性事務員Fさんが唯一の社員だった。営業部長も経理部長も総務部長もいない。幹部社員と呼べるのは、そのFさんと2名の店長だけだった。私はこの状況に唖然とした。いくら父が超ワンマン社長だといっても、この体制は酷すぎる。よく機能していたものだ。
Fさんに尋ねると、これには事情があった。父の亡くなる数年前に営業部長と管理部長が揃って退職し、近隣でうちと同じような居酒屋をオープンさせたという。その店が大成功をおさめ、5店舗まで拡大していく中で、湯佐和から子飼いだった店長や調理長を引き抜いていったのだった。すでに65を過ぎていた父は。どれだけ悔しかっただろう。
しかも、当時の顧問税理士は、ほとんど税務申告の捺印のみの付き合いだったので、こんなピンチでも頼りにならなかった。私か相談をもちかけても、「私もよく把握していないのです」というばかりだった。
翻ってリーダーシップをとるべき私自身はというと、これも頼りにならなかった。飲食業界の経験なし、マネジメント経験なし、自社への理解なし―の三拍子が揃っていた。
ひたすら飲食業から逃げていたため、学生時代のアルバイトの経験もない。接客も調理もできないし、知らない。
キリンビールには12年勤めたが、大企業ゆえ、多くの部下を動かした経験はなかった。
何よりも、私は自分の引き継いだ会社のことを何も知らなかった。借金の額が大きいこともそうだが、これほど何も知らない後継者というのも特殊なケースだと思う。
だから、私にはリーダーとしての威厳も信頼もまったくなかった。
飲食業も経営もド素人の跡取り息子が突然、社長としてやって来たのだ。信頼なんてあるはずもない。しかも、私は、目の当たりにした会社の実情を社員に一切知らせていなかった。今潰れてもおかしくない会社だよと、わざわざ社員に伝える勇気は持ち合わせていなかった。
会社には、いわゆる抵抗勢力になる人たちすらもいなかった。私のやることに対して、「先代の意向がどうのこうの」と反対する古参の幹部もいなかった。
最初から見て事情を知っているFさんだけは私を信頼してくれたが、それ以外には本当に「誰もいない」ような感じだった。そこは、会社と呼べるのかも怪しい場所だった。
最悪の事態を紙に書き出す
ようやく行動に移さなくてはいけないと肚を括ったものの、40億円という借金を思うと途方に暮れてしまい、なかなか行動に移せない。やはり真正面から向き合うのは怖いからだ。そこで私はまず、最悪の状況を明確にイメージすることにした。
頭の中で恐怖を肥大化させては怖がるのに疲れ果てたで、“最悪の最悪”の場合にはいったいどんな酷いことになるのかを、できるだけ具体的に、思いつくかぎり紙に書き出してみたのだ。要は、「破産計画」を立案した。
・破産するとなると、破産処理にかかる費用をどうするか?
・取引業者の連鎖倒産を防ぐにはどうするか?
・自己破産の後は、どこに住んでどうやって収入を得るか?
・どの時点で、経営の続行を諦めて破産処理に移行するか?
経営続行を諦める時期に関しては、ヤミ金融や商工ローンやシティローンに手を出さなければいけない段階になったら、そこを限度に最終計画に入ろうと決めた。
こうして冷静に考えて書き出してみれば、「ただ破産するだけ」だ。
辛い思いはするだろうし、家族や関係者に大変な迷惑をかけることになるが、命をとられたりはしないだろうし、夜逃げをすることもないだろう。
連鎖倒産を防ぐためには、最終計画に入るとき、会社に残っている資金を連鎖倒産の可能性がある会社から優先的に払おうと決めた。
自宅は、私がサラリーマン時代に横浜市に建てた家だったが、連帯保証人として取られることは間違いない。そうなったら地元にいるのは嫌だから、温泉のある湯河原町あたりに住もうか。それとも今の家からもう少し近い二宮町あたりにしようか……そんなことを考えながら、インターネットの不動産サイトで家賃などを調べもした。
こんなふうに具体的に計画を立ててみると、思いのほか気が楽になった。「こんなものか」とすら思った。いっそ、今すぐに破産処理に移行したい衝動に駆られるほどだった。
倒産したらどうなるのかと漠然と頭で考えているときは、不安がどんどんと大きくなり、悪い想像が膨らんだ。自分では止められないほど、荒唐無稽なレベルにまで不安は増大していった。
しかし、冷静に書き出してみると、粛々と処理できる気がしてきた。
不安や恐怖をむやみにこねくり回すより、不安や恐怖の原因と対象をしっかり見つめることで、精神はかなり落ち着きを取り戻せるようだった。