「ソーシャルビジネスやりたいっす!」 という君へ
2015年12月30日 公開 2015年12月30日 更新
「ソーシャルビジネスやりたいけど、何を解決したいか分からないっす!」という君へ
「まだ何の問題を解決したいか分からないけれど、NPOはやりたい」。こんな一見奇異なことを言う社会起業志望者がいる。
本来ならば「解決したい問題があり、その道具としてのNPOであり、社会起業である」というのが、正論だ。だから、お前らおととい来やがれ! となるところだが、僕はそうは言わない。
というのも、人間の内面なんて結構混沌としているからだ。NPO経営者の綺麗なストーリーの多くは後付けだったりすることが往々にしてあるし、当初感じた問題意識がビジネスをやり始めてから二転三転することだってある。
例えばこの僕。僕は親がベビーシッターをしていた。その親から、子どもが熱を出していつも行っている保育園に預けることができず、看病のために会社を休んだら、会社をクビになったお客さん(双子のママ)の話を聞いた。ふざけんな、と憤り、そこから「子どもが熱を出したときに、保育園の代わりに預かれる仕組みをつくろう」と日本初の訪問型病児保育をたちあげた。
このストーリーは噓ではない。事実、自分の人生を揺るがしたエピソードだ。しかし、人に伝えやすいよう、この転機の前後にあった色々な思いを切り捨てて話している。
本当は、社会起業する前にITベンチャーを経営していて、その世界への失望があった。
お金は稼げるし、刺激的だし、未来もある。でも何か足りなかった。それは、自分が心の底からやりたい、と思っていたことではなかったのだ。だから迷っていた。自分はいかに生きるべきか。いかに働くべきなのか、を。
そんなときに僕は心の奥底にしまっていた、憤りに「出合った」のだ。話を聞いたその瞬間には、憤るしかできなかった。心の中に引っかかり続けていたその棘とげに向き合う機会が、キャリアへの迷いの中から生まれた。そして何となく、この問題をもっとよく知りたい、あわよくば何かしら答えのようなものを得たい、と思ったのだった。
「なんとなく」胸が痛んだのだ。「なんとなく」そのままにはしておけないような気がした。
だから、確固とした鉄の意志を当初から持っていたか、と問われたら、正直に告白しよう、NOなのである。僕はそんないい加減な人間だ。そして多くの人の内面も、多面的で複雑で、そしていい加減だったりする、と信じている。
だから、最初の最初から、崇高で確固とした問題意識なんて、なくてよいと思う。NPOやソーシャルビジネスをやりたい。しかしこれぞ、というテーマは見つからない。でも、このままじゃダメだと思う。世の中もっとよくなるような気がする。最初は別にそれでよい。
心の棘を探せ
ではどうすればよいか。「何となく心に刺さっている棘」に会いに行けばよい。ニュースで見て、新聞で見て、友達に聞いて、自分で体験して、何となく許せなかったこと、納得が行かなかったこと、悲しかったこと、心動かされたこと。そうした棘に、実際に会いに行けばいいのだ。
いじめられていた友人を見て見ぬふりをして、いまでも胸がしくしく痛むのであれば、いじめに関する本を読み、いじめの相談に乗っている機関にヒアリング(聞き取り調査)に行けばいい。漫画で読んだ児童虐待のシーンに、強く心を揺さぶられたのであれば、児童養護施設に見学に行けばよい。現場に飛び込むことで、僕たちの心はさらに揺さぶられる。そしてもっと知りたくなる、あるいはさらに深い問題意識が生み出されてくる。
だから、棘に会い、棘の痛みに向き合うことによって、我々は近づけるのだ。真の問題意識に。そして一生取り組んでよいと思えるテーマに。
さて、一方でもう「解決したい問題」を持っている、という人もいるだろう。そういう人にはこう言いたい。おめでとう、と。ならば後はそれを「どう解決するか」を考えるだけでいいからだ。