川淵三郎 理念を貫く「よき独裁者」であれ
2016年01月14日 公開 2022年07月11日 更新
PHP松下幸之助塾<リーダーの条件>特集号より
Jリーグ、男子バスケットボール新リーグ創設を成し遂げた信念と手腕
2016年10月に新リーグが創設される男子のバスケットボールは、これまで長らく2つのトップリーグに分裂した状態が続き、日本バスケットボール協会は国際バスケットボール連盟から無期限の国際大会出場停止処分の制裁を受けるほど混迷を極めていた。その改革の旗手を担い、新たなステージへと導いたのが、プロサッカー「Jリーグ」創設の功労者・川淵三郎キャプテンである。サッカー、バスケいずれの場合も、ビジョンの欠落や深刻な利害対立などの大きな障壁が立ちはだかっていたという。川淵氏はそれをどのようにして突き破り、成功へと導いたのか。「剛腕」「独裁者」と評されるほど冴えわたるリーダーシップの根底にある考え方をうかがった。
取材・構成:坂田博史
ゆっくり丁寧よりも、走りながら考える
日本バスケットボール協会(JBA)の関係者から、「このままでは国際試合ができなくなってしまうから助けてほしい」と言われたのは2014年4月のことでした。
6月までに問題点を整理し、改善策を話し合い、一応、関係者全員の合意を得たのですが、その後、瓦解してしまい、11月に国際バスケットボール連盟(FIBA)から制裁を受け、日本は国際試合などの活動がいっさいできなくなってしまいました。
FIBAの責任者から言われたのは、日本のバスケットボールがまったく発展していないということでした。男子バスケットボールに2つのトップリーグがあること自体おかしなことで、それを何年間も放置し、いまだに具体的な改善策が立てられていないと指摘されました。
もっともだと思った私は、FIBAから依頼された協会改革を主導するタスクフォースのチェアマンを引き受けます。
FIBAから求められたのは、「協会の統治向上」「リーグの統合」「日本代表の強化」の3つでした。協会のガバナンスは、今後、地道に時間をかけてやっていけば向上させることができるであろうし、日本代表の強化はこれまでにもやってきたことです。
最大の問題は、やはり、リーグの統合でした。男子バスケットボール界には、以前から、主に企業チームで構成された「ナショナルバスケットボールリーグ(NBL)」と、そこから脱退してプロ化した「bjリーグ」の2つのトップリーグがあります。
NBLはお金があり、日本代表にも選出され、選手のレベルも高いものの、お客さんに来てもらおう、面白い試合をやろうという意識は低い。
逆に、bjリーグは集客のために少しでも試合を面白くしようと工夫を凝らし、地域密着をはかっていますが、外国人が多く日本代表に選ばれるような選手はいません。
何から何まで真逆で、まるで水と油のようでした。これでは一緒になれるはずもないと判断し、Jリーグのときのように、まったく新しいバスケットボールのプロリーグをつくることにしました。
日本バスケットボール発展のために、日本代表の強化にもなり、子供たちの夢の受け皿にもなれる、地域に根差したプロリーグを設立し、将来的には500億円規模の市場をつくることをめざしています。
一部リーグの参入条件としては、「5000人規模のホームアリーナの確保」「年間2億5000万円以上の売り上げ」「地域密着」の3つをあげました。
新しいプロリーグに入りたいチームには、この3つを実現するための具体的な計画を提出してもらい、入りたくないチームは勝手にどうぞというスタンスです。
FIBAの後ろ盾もあり、強い立場で改革を進めることができました。ときに「剛腕」などとも言われましたが、何でもゆっくり時間をかけて、いろいろな人の意見を聞きながら丁寧にやればいいというものではありません。
リーグ参加の3条件を決めるときも、私はだれにも相談せず、基本項目を列挙して会議に臨みました。「自分以上に考えている人間はいない」と思っていましたが、「なるほど」と思う意見があれば、そこは変える用意がありました。
こうした改革を断行するうえでは、スピードが最も重要で、走りながら考え、いいと思ったことは、どんどん前に進めることが大切です。「それは違うんじゃないか」と言われ、自分でも間違ったと思ったら修正すればいいのです。
※本サイトの記事は、雑誌掲載記事の一部を抜粋したものです。