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松下幸之助のそばに仕えて28年~岩井虔(PHP研究所客員)  

松下幸之助経営塾講義再録

2016年04月05日 公開 2022年08月18日 更新

松下幸之助のそばに仕えて28年~岩井虔(PHP研究所客員)  

『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2013年7・8月号Vol.12より一部転載

 

世の指導者の下で薫陶を受ける

松下幸之助さんと初対面のとき

私が松下電器産業株式会社(現パナソニック)に入社したのは1958(昭和33)年でした。最初に配属された部署は弘報課で、社内報の編集担当として仕事を始めました。そうして1年半ほど経ったとき、松下幸之助さんが社長から会長に退かれPHP活動に没頭されることになりました。急遽PHP研究所での人材が必要になり、私は幸之助さんの面接を受けることになったのです。幸之助さんと向かい合って話すのは、このときがはじめてでした。

「今度PHPに行ってくれる岩井君かね」

それが第一声だったと記憶しています。そして「大学でどんなことを勉強してきたんや」ときかれたので、「心理学です」と答えると、「心理学とはどんな学問や」と続けてきかれたのです。説明を始めたところ、突然手で制止されて、

「きみ、知っているかどうかしらんけれど、わしは小学校も満足に出ていない男や。むつかしいことを言われても分からん。ひと言で説明してくれんか」

と言われたのです。まったく恥ずかしい話ですが、頭の中が真っ白になってしまい、満足に答えられませんでした。するとサッと質問を変えて「家族は何人や? ご両親は健在か」という質問になり、それらの質問に答えているうちに落ち着いてきました。

「きみはなんで松下に入ってくれたんや? 今やっている仕事は楽しいか。社内報の編集をしているらしいがこれからどうしたいのや」

と、どんどん話をきき出してくれたのです。私は、幸之助さんは聴き上手で、自然に打ちとけてしまうような雰囲気を持っている人だなと思いました。

そうして1961(昭和36)年の5月に京都に転勤し、PHPで仕事をするようになりました。幸之助さんは66歳で、私は25歳でした。

PHP活動を再開した場は、今は「真々庵」と呼ぶ日本庭園のある屋敷ですが、当時は前所有者から買い取ったばかりで、荒れ放題になっていました。そこを、庭師も入れて大幅に手を加えられましたが、われわれもまた、そこを掃除することからPHPの仕事が始まったのです。

「PHPは道場や。道場は門弟がきれいにするものやから、きみらが毎日掃除をしてほしいのや」

男性は庭の掃除、女性は屋敷内と分担を決めて掃除をするのですが、落ち葉の季節ともなると幸之助さんが来られるまでに終わらないこともありました。そんなとき、掃除をしているそばを幸之助さんが通りかかられると、

「ようやってくれているな。ところでこの庭はだれのものや。きみのものと思うたらどうなるかな」

「すごい落ち葉やなあ。この落ち葉が小判やったらええのになあ」

などと、必ずユーモアを交えたひと言を言って通り過ぎました。

 

鍛えられた礼儀

言葉づかいなどの礼儀については、とても鍛えられました。お辞儀一つにしても、

「お辞儀は頭を下げればよいのではない。お辞儀をしたあとにこちらの感謝や敬意が相手にちゃんと伝わっているかどうかや」

と教えられました。来客の接待もたいへんていねいで、お見送りするときも門の外まで出ていって、車が見えなくなるまで見送っていました。さらに、車が角を曲がって見えなくなる寸前に深々ともう一度お辞儀をするのでした。

これは徒歩で帰られるお客様に対しても同じでした。私などは若気の至りで、「忙しいから早く中に入りたいな」と思うときもありましたが、ご当主が立って見送っているのでそうはいきません。

こうしたことの意味合いを身にしみて実感したのは、幸之助さんが亡くなった1989(平成元)年4月27日の翌日の新聞を読んだときでした。すべてが幸之助さんの記事で埋め尽くされた中に、こういう囲みの記事がありました。

「……私が松下さんのインタビューを終えて会社の玄関を出発し、曲がり角で振り返ると、さっきごあいさつしたはずの松下さんがこちらを見てお辞儀をされていた。このシーンは焼き付いて離れない」

私はこの記事を読んだとき、「ああ、これを書いた人は幸之助さんのファンになったな」と思いました。幸之助さんにとっては当たり前の自然な行いが、人々の心に感動を呼び、その人の心を取り込んでしまうのです。

先ほどの掃除の話にしても、実は松下政経塾でもやかましかったそうです。そこである塾生が「リーダーシップと掃除はどのような関係にあるのですか」と幸之助塾長に質問したところ、「自分自身の始末ができない者がどうして人の上に立てるのか」と答えたそうです。

 

著者紹介

岩井虔(いわいけん)

PHP研究所客員

1936年満州ハルピン生まれ。1958年京都大学教育学部卒業。松下電器産業株式会社(現パナソニック)に入社。1961年 PHP研究所に出向し、研究、編集、国際、研修部門を担当。1992年同専務取締役・研修局長、1997年同顧問を経て、 現在客員。PHP研究所の所長であった松下幸之助に、28年間直接教えを受けた。また、ここ30数年は、PHPゼミナールなどで企業人のための研修、講演に携わっている。

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