特定の道徳観の押し付けは、マイノリティや逸脱者への攻撃を促す
森田洋司の調査で、同調圧力が強かったり、特定の道徳観のみを押しつけたりする教室では、いじめが多く発生する、というデータがあります。
道徳の教科化を進めた多くの人は、「道徳というのは、いじめないような気持ちを持つことだ」と考えているのだと思います。
「だから、いじめないように教えればいじめは減るはずだ」と。しかしこれは、「いじめない子を育てたらいじめない子が育つ」と言っているようなもので、トートロジーとなってしまっています。
こうした精神論による循環論法は、いじめ対策において効果を持ちません。
むしろ、道徳の授業で、「教室の中では、こう振る舞いましょう」という一定の「あるべき形」を押しつけることによって、その形から外れた人は叩いていいのだ、という考えを植えつけ、マイノリティや逸脱者を攻撃するマインドを作ってしまいます。
また、道徳観を押しつけるあまりに、それ自体がストレッサーになってしまう、ということも多分に起こり得ます。そして、そのストレスの発散手段として、いじめなどの逸脱行動が発生してしまう。
「道徳」という言葉で一体何をイメージするのか。それによって、「道徳教科」の効果は大きく変わるのです。
では、道徳の授業時間では何を教えればいいのでしょうか。
例えば、他文化や障害、マイノリティへの理解など、異なる他者と共生していくための知識と振る舞いを学習する授業であれば効果があるでしょう。
実際に、「多様性に寛容である」と児童が感じている教室では、いじめ被害の割合が減少する傾向にあります。
つまり、子どもたちがのびのびと、「自分たちの違いを認めてもらえている」と感じられる教室を作ることが大切だと言えるでしょう。
しかし現状の「道徳」の授業は、このような内容と相反する部分があるように感じられるので、懸念しています。
いじめが教科化のきっかけだったこともあり、道徳の授業では必ず「いじめ」を扱うこととなりました。それによって、先生の意識がいじめに向いていくことが予想されます。
その意識の変化が、どのような結果につながっていくのか、今後もしっかりと検証していく必要があるでしょう。