「ビルから飛び降りろ」上司の暴言を浴びても…日本の会社員が“奴隷化”する理由
2019年04月20日 公開 2022年07月08日 更新
ゼロサムとプラスサム
お金を手に入れる方法には大きく2つあって、そのやり方はかなり異なっている。それが「ゼロサム」と「プラスサム」だ。
ゼロサムというのは「差し引きするとゼロ」になることで、誰かが持っているものを失い、別の誰かがそれを手に入れれば、富は全体として増えることもなければ減ることもない。
戦国時代の武将の争いがこの典型で、織田信長が合戦で領地を増やせば、武田とか北条とかの周辺の大名がその分だけ領地を失うことになる。これをかんたんにいうと、「お金持ちになりたければ、他人の持っているものを奪うしかない」ということだ。
それに対してプラスサムは差し引きしても全体がプラスになるような取引のことで、その典型は交易だ。
山でキノコをたくさん採って、とても食べ切れなくて困っているとしよう。するとそこに、川で食べきれないほど魚を釣った漁師が現われて、「キノコと交換してくれないか」ともちかけた。
この取引で君は、捨てるしかないキノコで美味しい魚を手に入れ、漁師は、腐らせるしかない魚で新鮮なキノコを手に入れた。
キノコと魚をもてあましていたときのそれぞれの満足度を50とすると、この交換によって2人の満足度は100に増えた。全体としてみれば、100の富が交換によって200になったのだ。
このように、市場の取引(交易)はプラスサムのゲームなのだ。
でも世の中には、このことを理解できないひとが(ものすごくたくさん)いて、貧しいひとたちから「略奪」しなければお金持ちになれるはずがないと信じている。
こうして、「お金持ち=悪」「貧乏人=善」という話になっていくのだけど、はっきりいってこれはものすごくまちがっている。もちろん世の中には悪徳商人はいるだろうが、これは貧しいひとのなかにも悪人がいるのと同じことだ。
グローバル市場が国家を超えて巨大化した現代では、ほとんどの富はプラスサムの交易(市場取引)から生まれる。それは両方が得をする「Win・Win」のゲームで、金持ちが貧乏人から略奪しているわけではない。
このことが理解できないと、君はぜったいにお金持ちにはなれない。
略奪以外にお金を得る方法がないと思っている人間がお金持ちになろうとすれば、行きつく場所は刑務所だからだ。