経営破たん後、JALをV字回復に導いた 「リーダー教育」のリアル
2019年07月05日 公開 2019年07月05日 更新
全15回、毎回必ず翌日までにレポート提出
――そして、相当ハードなプログラムだったとお聞きしました。
上野 当時は経営破たん直後でしたから、リーダー層は、裁判所に出す再建計画をつくったり、リストラの計画も考えねばならない状況でした。時間もなく、精神的にきついところでしたが、ハードな計画をあえて断行しました。
川名 2010年6月スタートで1週間に3~4回、それを1カ月、集中して行ない、全15回の講義です。羽田空港からも成田空港からもリーダーたちが品川区天王洲の本社に集まり、ビジネスアワーで本来業務をこなしたあとの夜の時間、あるいは始業前の朝早くの時間、さらには土日を使って教育を組み立てました。「プライベートな時間」を使って学ぶというのが、基本コンセプトです。また遅刻厳禁で、「1分でも遅刻したら入れません」という張り紙をしていましたね。
上野 そして「学び」の後は、毎回必ず翌日までにレポート提出をするプログラムにしていました。リーダー各人が、学んだことをきちんと文字にする、自分の言葉にすることで、腹落ちさせようとしたのです。それを社長が全部チェックされました。
このようなことを2~3日置きに繰り返し、1カ月間、続けたわけです。レポート提出が遅れる人は一人もいませんでした。
――毎回必ず翌日までにレポート提出とは、本当にすごいですね。
上野 稲盛会長の経営哲学を徹底的に学んだあと、最後に1泊2日で「まとめの合宿」を行ないました。時間の経過とともに、経営哲学への理解度が少しずつ深まっていき、この合宿で頂点に達したという感じでしたね。合宿では各リーダーが、「これからJALをどう導いていくのか」について、喧々諤々の議論をしました。議論は明け方の4時ごろまで、続いたのをよく覚えています。
その後、翌7月に皆さんに再度集まって頂き、稲盛会長のフィロソフィのコアにある「六つの精進」についてのビデオを見て、終了したのです。
――リーダー教育は、ここで一段落ついたのですか。
上野 いいえ、会社全体の意識改革を進めていくには、稲盛会長のお考えを理解するリーダー層の早期拡大が必要だと考えました。そのため、この52人の学びのエッセンスを3,000人ほどの管理職の社員たちに、2年ほどかけて広げていきました。土日を中心に進め、最後は毎週末、研修を行なっていました。
――鍛え抜かれた最初の52人のなかから、「伝道師」的な方が出てきて、リーダーとしての教えを広げるということはなかったのですか?
川名 52人の中にはグループ会社の社長が含まれていましたが、その一人、「JALウェイズ」の池田博社長(当時)が「池田塾」というものを同社で開き、稲盛会長から教えていただいたこと、プラス、ご自身の経験に基づく経営論を「JALウェイズ」の幹部を集めて教育していました。
勉強会という形ではなくとも自分の部下にエッセンスを語り伝えているリーダーは多くいました。お任せしてどんどんやっていただき、効果的だったと思います。