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映画『新聞記者』異例のヒット 一方で現実のメディアは「事実」を伝えているのか

大澤真幸(おおさわまさち:社会学者)

2019年07月18日 公開 2019年08月02日 更新

 

被害者の本当の苦悩を描く

どちらかというと日本のマスメディアに対して批判的なことをたくさん言ってきたので、最後に、一つ、すごく感銘を受けたドキュメンタリー番組について紹介しておきます。

2014年2月に放送されたNHKスペシャル『聞いてほしい 心の叫びを』という番組です。

これは、1980年の新宿西口バス放火事件の被害者の、ある苦悩を伝えた番組です。このとき、全身大火傷をしながら奇跡的に生き延びた杉原美津子さんという女性のことが撮られている。杉原さんは実は、何冊か本を書いているので、彼女のことを知っている人もいることでしょう。

この番組で何がわかるかというと、まず、杉原さんは、犯人の丸山を赦したいと思っているのです。彼女が、心底から強く、「赦したい」と思っていることが、番組からわかる。ならば、彼女は被害者で、赦しを与えることができる立場にあるのだから、赦してあげればよい、犯人に対する赦しの感情をもてばよい、と言いたくなるわけですが、他方で、どうしても赦せないという強い気持ちも出ている。赦したいのに赦せない、これがものすごい苦悩なのです。

実は、杉原さんは、以前に一度、犯人を赦しているのです。事件から3年後に、彼女は本を出したのですが、その中で、犯人の丸山の人生がいかに悲惨であったかということを知ると、どうしても丸山を憎むことができない、と書いた。このとき、同じ事件の被害者や遺族を含む、多くの人から、激しく批判され、バッシングを受けたそうです。

それから、30年以上が経ち、杉原さんは、今度は、丸山をどうしても赦せなくなっている。それなら、怒りや憎しみの気持ちをもち続けていればよいのではないか、と思いたくなりますが、しかし、先ほども言いましたが、ほんとうは赦したいわけです。どうしてか。

僕は番組を見て、こう理解しました。彼女が自分の人生を全体として受け入れ、それを肯定するためには、彼女の人生を一変させたあの事件の犯人をどうしても赦す必要があったのです。

自分の人生を肯定するためには、事件を受け入れなくてはならず、そのためには、犯人に対して一片の赦しの感情をもつ必要があったのでしょう。実は、このとき彼女は、肝臓がんで余命いくばくもない状況にありました(番組放映後、十ヶ月もせず杉原さんは亡くなりました)。

 

解釈の枠組みに迎合しない

「赦したいのに赦せない」の「赦せない」方の理由も、実は、この致命的な病と関係している。なぜ、かつて一度は赦せるかもしれないという方向に気持ちが傾いたのに、人生の末期を迎え、しかも赦したいという欲求も高まっているのに、かえって赦せなくなっているのか。

それは、彼女の命を奪おうとしているがんの原因が、結局、あの事件にあるからです。あのとき受けた大手術の折に使った血液製剤のせいで、杉原さんはC型肝炎になった。それが、のちの肝臓がんの原因になっているのです。

僕はこの番組はすばらしいと思いました。

すばらしい理由は、まず、番組が、視聴者の方の解釈の枠組みにまったく迎合していないことです。僕らは、加害者はこんなふうで、被害者はこんなふうであるというある枠組みをもっていて、それに落とし込んで、ことを分かったような気分になろうとしています。この番組は、その身構えを裏切って事実を伝えている。

たとえば、ぼくらは普通、何か罪を犯してしまって、それを赦してもらうことはなかなか難しい、ということを知っていますが、赦すこと自体にはそういう困難はないと思っている。赦すか赦さないかは、被害者の方の自由な決断の問題だ、と。でも、赦すことは、赦してもらうこと以上に難しい場合がある、ということをこの番組から知ることができる。

僕らは被害者や犠牲者に寄り添うなどということを軽々しく言いますが、この番組は、僕らがそんなことがまったくできていなかったことを教えてくれる。ひどい事件の犠牲者の側からは、世界がどう見えるのか、世界がどう感じられるのかを、この番組を通じて、はじめて知るのです。

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