1. PHPオンライン
  2. 生き方
  3. 「右腕の切断」を宣告された少年に起きた“奇跡”

生き方

「右腕の切断」を宣告された少年に起きた“奇跡”

山田清機(ノンフィクション作家),〔撮影〕尾関裕士

2019年11月08日 公開 2022年12月19日 更新

 

「デスモイド腫瘍」との闘いのはじまり

芦田創

芦田は兵庫県氷上郡(現在の丹波市)で生まれている。幼いころから活発だった芦田は、氷上の里山を駆けずり回って遊ぶ野性児だった。運動神経のよさは学生時代に体育会テニス部で鳴らした父親の幸浩譲りだが、幸浩は幼い芦田の体に小さな不安を感じていた。

「幼稚園に上がる前、左右の腕の太さが少し違うのに気づいたんです。ボールを投げさせるとやたらと右のほうに飛んでいくので、球技が苦手なのかなとも思いました」

左右の腕の太さの違いは、芦田が五歳になったころ顕著になってきた。不安を募らせた両親は、幼稚園の創立記念日を利用して地元の病院に芦田を連れて行った。MRIの検査結果を見た医師は、即座にこう言った。

「すぐに、もっと大きな病院を受診してください」

尼崎市にある関西労災病院整形外科部長(当時)の、多田浩一を紹介された。関西で3本の指に入る「手外科」の名医である。氷上から車を飛ばして1時間半。関西労災病院で多田の診察を受けた。

多田の所見によれば、芦田は生まれながらに肘を脱臼していたらしい。人間の上肢は尺骨と橈骨という2本の骨によって構成されているが、芦田の脱臼は橈骨頭(橈骨の肘側)の脱臼だった。原因はわからないが、脱臼の手術自体はそれほど難しいものではない。

さっそく脱臼を治す手術が行なわれたが、またすぐに脱臼してしまった。再手術を受けても結果は同じ。母親の智恵は、芦田が小学校に上がるころ、多田から受けた病状説明の言葉をよく記憶している。

「デスモイド腫瘍かもしれないけれど、だとするとやっかいですね」

「やっかい」という言葉が胸に引っかかった。家に帰ってインターネットで調べてみると、デスモイド腫瘍は手術の侵襲によって発生する腫瘍で、再発率は実に80%以上。

手術で除去しなければ腫瘍はどんどん大きくなり、やがて痛みに耐えられなくなる。しかし手術をすれば、それが原因となってまた次の腫瘍ができてしまう。まさに「やっかいな」腫瘍である。

細胞が活性化するとそれに伴って腫瘍も大きくなり、腫瘍はやがて骨を侵食して徐々に骨を溶かしてしまう。だから智恵としては、なるべく芦田に運動をしてほしくなかった。運動中に転べば骨折の危険性があるし、運動は細胞を活性化させてしまう。

次のページ
いじめられた記憶はない

関連記事

×