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生き方

クラブから門前払い…ハンディを背負うスイマーを立ち直らせた“ゴッド・マザー”の教え

山田清機(ノンフィクション作家),〔撮影〕尾関裕士

2019年12月10日 公開 2022年12月19日 更新

 

個人モデルと社会モデル

京都市立紫野高校に進学した一ノ瀬は、この学校で初めて、自由な空気を吸うことになった。作家の綿矢りさを生んだ紫野高校には制服がなく、ハロウィンの日には生徒も教師も(全員ではないが)仮装して登校する伝統があるという。

高校時代の友人・中村有沙によれば、一ノ瀬は「紫野のヒーロー」だった。

「メイちゃん自身が障がいのことを引け目にも何とも思っていなかったので、私、出会ってから一カ月近く、メイちゃんの右腕が短いことに気づかなかったんです」

3年生のとき、一ノ瀬が全国高等学校英語スピーチコンテストで優勝したことはすでに述べたが、その凱旋スピーチが学校の中庭で行なわれると、たくさんの生徒が集まった。校舎の窓からも何人もの生徒が身を乗り出して一ノ瀬のスピーチに聞き入った。

「あれは、メイちゃんがパラに関心をもってもらうために、3年間いろんなことをやってきた結果だったと思います」

スピーチのタイトルは「障害って何?」。スピーチのなかに、以下のフレーズがある(原文は英語)。

「私はイギリスで、障害におもにふたつのモデルがあることを知りました。個人モデルと社会モデルです。個人モデルはその人の障害の問題を個人的な能力の問題だとする考え方です。

(中略)社会モデルは、イギリスではよく知られるようになってきた考え方で、障害を生むのは個人の機能的な問題ではなく、社会が障害をつくり出しているのだという考え方です」

一ノ瀬は例のスイミングクラブでの一件を引き合いに出しながら、十分に泳ぐ能力のある自分が、そのスイミングスクール(=社会)によって障がい者にされたのだと述べている。

実は、この個人モデルと社会モデルという概念は、トシ美がリーズ大学で学んできたものだった。おそらく中村たち級友から「マミー」と呼ばれて親しまれていたトシ美こそ、一ノ瀬の強気な生き方に大きな影響を与えたゴッド・マザーに違いない。そんな予想を立てて、トシ美に取材を申し込んだ。

トシ美がインタビュー場所として指定してきたのは、京都のバーガーキング・河原町三条店であった。"バーキン"を指定するところからして、タダ者ではなさそうだ。

「うーん、メイは、ひと言で言うと適当な子ですね(笑)」

バーキンに現れたのはショートカットで目の大きな、意外に小柄な女性だった。どこか飄々とした雰囲気がある。トシ美はなぜ障害学を学ぶことにしたのだろう。

「そりゃ、障がいのある子を産んだからですよ。京都市障害者スポーツセンターで出会うお母さんたちはみんな、センターの中では何も感じないでいられるのに、一歩外に出て子どもと一緒にバスに乗ると、ごめんなさいごめんなさいって謝ってばかりなんです。いったい障がいって何なのか? それをハッキリさせたかったんです」

「障害って何?」。まさに、一ノ瀬のスピーチのタイトルそのものである。

「でも、メイの理解はまだまだ薄っぺらいと思いますよ(笑)。個人モデルはメディカルモデルともいうんですが、障がいを医療の対象と考える。悪いのは障がいをもっている人であり、悪い部分は治せばいいと。

一方の社会モデルは障がい者本人に原因を求めず、本人はそのままでOK。その人が障がい者であるのは社会に問題があるからであって、社会が変われば障がい者ではなくなると考えるんです」

一ノ瀬を描いた本、『私が今日も、泳ぐ理由』(金治直美著・学研プラス刊)には、一ノ瀬の右腕を見た通りすがりの人が、「iPS細胞があるから大丈夫や」と声をかけてきたというエピソードが出てくる。まさに、個人モデル=メディカルモデルを象徴する発想だ。

「大切なのは、健常者と障がい者の混じり具合だと思いますよ。日本の障がい者はマージナル(周辺的)な存在ですが、他の国では一緒に生きている感じがします。障がい者を特別な目で見ない。

日本は特別支援学校をつくって分けてしまったでしょう。メイがよく、支援学校の子との交流会ってなんか変だって言っていたけれど、最初に分けておいて、後から交流させるなんておかしいじゃないですか」

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理想は、障がい者とビールを飲んで語らう関係

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