“底辺託児所"の「声を上げずに泣く子」…ブレイディみかこの胸を締めつけたもの
2020年02月13日 公開 2021年04月27日 更新
ブレイディ節の背景①――渡英後、一度は「ひどい」日本語に
── どの本をお読みしてもブレイディさんの文体はブレイディさんの文体で、独自のものが感じられるように思います。こういう文章力はどうやって培われたのか、どんな文章を読んでこられたのか、そのあたりをお聞かせいただけるでしょうか。
子どものときは、本好きでした。母親がすごく本を読む人で、うちにたくさん本があったんです。
母親は推理小説や歴史小説がすごく好きで、おいてあったのでそれを。それから、わたしはキリスト教徒でカトリックだったから、キリスト教関係の本も読んでいました。
高校のときに、すごくぐれてたら、現代国語の先生が目をかけてくださって、「君はたくさん本を読んでものを書きなさい」と言ってくれたんですが、大学に行かずに、音楽のほうにばーっといっちゃいました。
そして、イギリスに行ったり、日本に帰ってお金を貯めてまた行ったりしていて、その間はあまり本は読んでいませんでした。でも、英語の詩や作品をすごく読んだ時期がありました。わたしは映画も好きなので、映画と本は、その時代にすごく、英語のものに、向こうに行ったときにふれていたというのはあります。
96年からイギリスに続けて住んでいて、日系の新聞社の駐在事務所で勤めていたときは、向こうのニュース記事をたくさん読んでいました。
アシスタントだったから、朝は山のように届いた英国の新聞各紙の整理から始まり、記者さんのためにスクラップブックを作ったりしていて、そのときはもう新聞記事ばっかり読んでいました。新聞記事か、あと政治雑誌も。
その仕事がこうじて、新聞社や日系の製造会社向けに、フリーの翻訳をやっていた時期があるんです。そのとき、翻訳の資格のためのコースをとっていたんですが、もう、英語から日本語に訳すときの日本語のひどさ!(笑)。
何年も住んでいると、日本語を書けなくなっちゃうんですよ。英語を日本語に訳す授業の先生にも、わたしの日本語はひどいと言われて。本田勝一さんという、朝日新聞の方が書かれている『日本語の作文技術』(朝日新聞出版)という本を渡されて、イチからもう一回日本語を勉強しなおすかんじでした。
その時点でもう向こうに5年くらいいたんですかね。もう一回日本語を、かたい文章でやり出して、で、そこから始まったかんじですね。
ブレイディ節の背景②――ジョン・ライドンのファンサイトがルーツ
── かたい文章を一回練習されたその地点から、その後ブログを書かれていたんですよね、そこには、どういうジャンプがあったのでしょう。思ったことを書きだしたら書けたのですか?
最初は、英語の新聞記事や雑誌記事の翻訳サイトを始めました。勉強のために。
1カ月2カ月経ったころに、わたしセックス・ピストルズが好きなんですが、ジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)が、ジャングルにB級セレブを閉じ込めてその様子をテレビカメラで追うという番組に出始めたんです。
そのときに、みんなおちぶれたとか言ってましたけど、でも、ジョン・ライドンってやっぱり、エンタテイナーなんです。すごくサービス精神旺盛だから、おもしろいんですよ! これがパンクだ、既成概念を壊すことだ、どうして日本の人たちにそれがわからないんだって思って、その番組が毎日やっていたので、毎日そのレポートをしだして……サイトで。
そうしたら、日本の音楽関係の人たちが、わたしのサイトを見に来てくださっていたみたいです。その番組が終わってしまってからも、ジョン・ライドンのファンサイトを立ち上げました(笑)。だからジョン・ライドンのファンサイトがルーツなんです(笑)。
次のページ
ブレイディ節の背景③――「書いてないとやってられない」