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真田信繁の手紙に残る“謎の焼酎”に迫った小説家…文献から読み解いたその一杯の味は?



2020年05月02日 公開

黒澤はゆま(歴史小説家)

真田信繁と六文銭

あのとき、あの武将はいったい何を食べていたのか。

薄味を供した料理人を殺せと命じた信長、糠味噌汁を残して叱られた井伊直政、逃避中に雑草を食べた真田信之、生水は水に浸してから食べよと心遣いする家康……。

さまざまな文献から戦国の食にまつわる面白いエピソードを紹介し、さらには文献に登場する料理を実食して、どれだけまずいかを味わう『戦国、まずい飯!』(インターナショナル新書)。新聞や雑誌の書評やインタビューなどで紹介され、インターネットでも話題となっています。

今回は、著者である歴史小説家の黒澤はゆまさんが、食事を通じて、当時の暮らしぶりを知り、戦国の世と先人たちに思いを馳せてみましょう。

※本稿は、黒澤はゆま著『戦国、まずい飯!』(集英社インターナショナル新書)より一部抜粋・編集したものです。

 

辛口の酒と甘口の酒

「昔から太平の世には辛口、乱世には甘口の酒がはやる」
食物史学者、篠田統博士の言葉である。

食料が少ない上に、いつも戦争で大量のカロリーを消費していた乱世に生きる人たちは、発酵の進んだ辛い酒よりも、糖分がふんだんに残った甘い酒の方を好んだ。実際、戦後直後の動乱の時代、甘口の酒の方が売れたという。

戦国時代も、甘い酒の方が好まれたと思われるが、焼酎派もいたようだ。それをあらわす手紙をご紹介する。

「その後、お便りいただかないままに過ぎてしまいました。そこで、この壺に焼酎を詰めて下さるようにお願いいたします。今ないようならば、次に手に入ったときに頼み入ります。難しくても、口をよく詰め、その上に(紙を)貼って送ってください。ご返事いただいたら、重ねて受け取りに行かせます。また、つまらないものですが、湯帷子を一つお送りいたします。そちらが暇なときにでも、ふとお訪ねくださったらと思っています。恐々謹言。

六月二十三日 信繁
左京殿


追伸:壺二つお送りいたします。焼酎のことお頼み申します。他にもあるのなら、(この壺の)他にも頂戴したいと思います。なおこの使いの者が申し上げるでしょう。」

信繁は言わずと知れた、大坂の陣の英雄、真田信繁(幸村)である。この内容から信繁が飲んでいた焼酎とは、何かということを推理してみたい。

それには、戦国~江戸時代初期にかけての焼酎事情について整理する必要があるが、さらにその前提として、蒸留酒の歴史を理解する必要もあるだろう。

 

蒸留酒はルーツを同じくする兄弟

人類というか酒飲みにとって長年の夢は、もっとアルコール度数の高い酒を作ってみたいということだった。

「蒸留したら強い酒が出来るのでは?」

この夢を果たしたのは中世の、中東イスラム世界のとある錬金術師である。この実用的な蒸留器をアランビック(al-inbiq)、それから出来る蒸留酒の方はアラックと名付けられた。

そして、蒸留の技術は中東から世界各地へ伝播していく。その名残が、それぞれの地の蒸留器と蒸留酒の名前に残っている。

トルコのラク、スリランカのアラックス、インドネシアのアラック、モンゴルのアルヒなどがそうだが、日本でも江戸時代、焼酎を阿刺吉酒、あるいは荒木酒とも呼んでいた。無論、元はアラックである。蒸留器についても、蘭引(ランビキ)と呼んだ。こちらは、アランビックの変形であろう。

このように世界の蒸留器と蒸留酒の名前の類似を見れば分かる通り、世界の蒸留酒は、皆、ルーツを一つにする兄弟、そして、ユーラシア大陸の東の端、日本の焼酎はその末っ子ということになる。

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