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名古屋の”徳川家康”が熱く語る「日本は江戸時代から衛生管理の先進国だった」

徳川家康(名古屋おもてなし武将隊)&鬼塚忠(作家エージェンシー代表)

2020年05月19日 公開 2022年07月04日 更新

 

江戸時代にすでにSDGsが実現されていた?

(鬼塚)家康様の先見の明です。すごいことです。日本とヨーロッパを比較しても、日本は衛生的に進んでいたということですね。

(徳川)その通り。そのため、儂の目の黒いうちは、欧州のような流行り病が爆発するパンデミックは起こらなかった。ただ、最近知ったことであるが、江戸の町はいつまでも衛生管理が万全だったわけではない。

江戸時代の末期となると、上水道も老朽化が進み、汚水が流れることもあり、これが原因かコレラなる恐ろしい伝染病が流行ったらしい。我が徳川の世の大いなる不覚であった。衛生管理は民の命を守ることが此処でも立証されておろう。

それにしても、儂、徳川家康が、世界に先んじて、上水道を作ったことが今の日本、いや、世界ではまったく評価されておらん。誰に聞いても、我が名や関ヶ原合戦は知っておるが、この上水を作った事は誰も知らず、悔しくおもう。此れこそ歴史に刻んでおけ。

他方で、パリに下水道があったのは知られておると聞く。しかもその下水道は汚水を川に流すだけの簡素なものであったにも関わらず。江戸の上水道から比べれば、大した事業ではない。

ちなみに、パリでは、汚物を下水に流すのであればまだ良かったが面倒くさいとの理由で窓から投げ捨てるなんてことも日常茶飯だった。上から降ってくる汚物を直接かぶらないために、大きなハットを被り、体をおおうマントを着た。

さらに貴婦人は道に落ちる汚物を踏まないようにハイヒールを履き、匂いを隠すために香水を多用していたのだ。ただこれは、花の都たる装いの文化の発展に寄与し、現世では日本の民もこの恩恵を受けておる。

(鬼塚)ということは、江戸にも下水が作られていたのですか?

(徳川)江戸にもあった。しかし、屎尿は流さなかった。必要なかったというのが正しい。なぜならば屎尿はすべて下水や川に流さずに専門業者が汲み取り、買い取ったものを田畑の肥料として販売しておった。そのおかげで立派な米や野菜が育ち、なめらかに経済活動へと転じさせておった。

現世で言う循環型のサイクルである。このようなリサイクル・リユース・リデュースなど持続可能な社会を支える発想は当時は今以上にうまく行われておった。

これは衛生管理面だけではなく、経済管理面の観点からも成立する話で、江戸はこのような循環型社会等のSDGs関連に加えシェアリングエコノミーやLGBTなど、今の経済新聞の一面を飾る事象やを、数百年前すでに高い次元で取り組んでいたのである。

世界を代表する都市であるニューヨークなどがパンデミックに苦しむ中、感染爆発より市民を守った当時最大の町江戸から学ぶこともあろう。

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