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社会

カルト,不良,ママ友…彼らはなぜ「異様な集団」から抜け出せないのか

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2020年08月28日 公開 2024年12月16日 更新

カルト,不良,ママ友…彼らはなぜ「異様な集団」から抜け出せないのか

人は成長の過程で、問題をどう乗り越えるかを考え、人生で何度も経験する葛藤と戦ううちに自分の長所、固有の素晴らしさに気づく。しかし、その葛藤を避けて解決しようとせず、それゆえに人間関係のあらゆる場面で問題を起こす「メンヘラ」と呼ばれる人びとがいる。メンヘラの心理はいかなるものか、その精神構造に焦点を当て、解説している一説を紹介する。

※本稿は加藤諦三著『メンヘラの精神構造』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。

 

メンヘラが持つ「曲がった愛国心」

ナルシシストについてよく言われるのは、鏡に映る自分を見つめるような自己陶酔である。要するに自分を称えてくれる態度を示さない人に傷つき、怒りを感じる。なんでも自分の思うようにならないとおもしろくない。だからナルシシストは常に被害者意識を持っている。

よく「あの人はわがままだ、なんでも自分の思うようにならないと怒る」と言う。これがナルシシストである。人が望んだように褒めてくれないとすぐに頭にくる。不愉快になる。さらにナルシシストは自分と関連のあるすべてのものに同じ愛着を示す。

自分の家、自分の持っている知識、自分の観念、自分の興味範囲。まず、ナルシシズムは自分のものに対する執着に表われる。自分の体、自己像、自分の業績、自分の持ち物などなどに対する執着である。

たとえば愛国心は望ましいものである。しかし、ナルシシストの愛国心は危険である。愛国心は本来望ましいものであるにもかかわらずそのことに反対をする人がいる。そういう人は、ナルシシズムの対象としての国に対する執着を愛国心と考えているからである。

ナルシシズムとは自分のものであるがゆえに価値があるという感じ方である。自分の国をどう見るかに大きな影響を与えるのがナルシシズムである。どのようなタイプのナルシシストであれ、他者への無関心は共通している。

そして他人の存在を忘れて、いつも自分の立場に不満な人がいる。本当は、自分は部長に昇格して当然である。本当は、自分は課長になれる才能がある。本当は、自分はあの賞をもらって当然である。本当は、自分の本はベストセラーになって当然である。そう思っている人がいる。

しかし現実にはそうはならない。ナルシシストはパーソナリティーの核に、このような満たされないものがある。だからいつもものすごい称賛を求めたり、普通の人が期待しないようなすごい財産を求めたりするのである。

それらの財産や称賛が自分の核にある不満を解消してくれると錯覚する。ナルシシストが道を踏み外すのは、このパーソナリティーの核にある不満のためである。よく「不満分子」という言葉で表わされる人たちである。

彼らはたとえ成功しても現状の成功では満足できないのである。普通の人ならそれで満足するような成功ではナルシシストは満足できない。とてもその人の才能では望むべくもない成功と称賛を求めるがゆえにつまずく。

他人から見ると「よくまー、欲の皮が突っ張っていることよ」と見える。要するに大人になってもナルシシストである人とは、心理的に成長することに失敗した人なのである。それがメンヘラといわれる人である。

そしてその失敗を外側の成功で補おうとしている。しかし最終的には心理的成長の失敗を外側の成功では補えない。メンヘラは自己執着で他者の存在がないから、今の自分がいろいろな人によって支えられているということが理解できない。

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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