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今井宗久が使った茶器に秘められた意味…『麒麟がくる』が描いた「豪商の権力」

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年10月17日 公開 2022年08月15日 更新

 

織田家の上洛、京の民の感情の変化

秀吉が「織田軍が10万の軍勢で攻めに来る、戦を起こす」という法螺(ほら)を吹いた結果、織田軍の上洛に京の民は怯えているという描写があった。

実際に当時の京では織田軍が攻めにくる、という認識であったそうじゃ。後に次期将軍・足利善昭が上洛する、という認識に変った。これはドラマでも描かれており、きっかけは秀吉の噂話。光秀の行動によって、織田軍の上洛が武具馬具装備品は無し、という史実の流れ通りにしたのは見事な演出であった!

今回のドラマの最後に描かれたのが甲冑を脱いでの上洛じゃった。実際、信長は規律よく上洛したと言われており、一切の乱暴狼藉を行わなかったそうじゃ。台詞が無くとも京の民の表情や衣装で表現した演出も誠にあっぱれじゃった。

 

秀吉の「一夜城、針売りと出世劇」の逸話

此度の回では秀吉の本質が見えた。「3ヶ月で城を築城」「針売りの過去」「信長は認めれば褒美をくれる」と秀吉が語った場面があった。

先ずは、城の築城は「墨俣一夜城伝説」の話。秀吉が信長に急いで築城してみせると言上。柴田勝家等が失敗したこの築城作戦を、秀吉は見事成功させる。秀吉が危機を好機に変えた有名な話である。

針売りについては、秀吉が武家に仕官する前の話。秀吉は織田家に仕官する前は、今川家の陪臣(ばいしん)であったが、その前は農家、野菜売り、油売り、針売りなどの職を転々とした、言わば現世のフリーターであった。秀吉が信長を敬愛するきっかけとして、この経歴をドラマでは取り上げていた。

針売り時代、針をすべて売ったのに飯を食わせてくれない、認めてもらえないことに不満を抱いていた秀吉。そんな疑心暗鬼な感情を信長が解消したのじゃ。結果を出せば褒美をくれる信長の存在が、秀吉の出世劇を後押しすることになるとドラマでは描いた。

 

茶器で表現された「今井宗久の権力」

今回は豪商・今井宗久とのやりとりのシーンが、此度の名場面であろう。

茶を飲むという行為は条件を飲むこと、という言葉遊びの演出が見られた。飲む光秀、茶を作る宗久、茶を運ぶ駒、三者それぞれ、御一同も納得させるという構図は見事であった。

ここで使われた茶道具にも注目して欲しい。この場面で、駒に差し出した茶碗。こちらは井戸茶碗というものである。

覗くと井戸の様に深く見えるから名付けられた、高麗茶碗の一つ。当時、日ノ本で人気の茶碗であった。

光秀に出した茶碗は、天目茶碗で台付き。天目茶碗は、専用の台が付き物である。漆しものが多く、高価なもので将軍、大名、豪商といった限られた人間が所持した品。

人気の茶碗を所持しているということで、宗久の力を表した。

 

観音寺城の戦い…天下布武への足掛かり

1568年9月12、13日に開戦した近江大名の「六角」対「織田・徳川・浅井連合軍」の観音寺城の戦い。ドラマではナレーションで一瞬で終わったが、実際この戦は早々に終わったが故に、一瞬で描いたのは納得であった。

織田軍の軍議では稲葉良通・柴田勝家・佐久間信盛が声を荒げた。三名共に、この戦で活躍を見せた。あの軍議場面で起用した意図は、観音寺城の戦いに繋げる為であろう。

また、信長自身も己の判断だけ決めることは無くなり、成長を見せる。ドラマで描かれていないが、この観音寺城の戦いが天下布武への道のりの最初の戦と言われている。

 

オリジナルキャラクターがドラマで担う重要な役割

ドラマオリジナルキャラクターが随分と本編に関わって参るが重要人物と光秀達を繋ぐという、ふわっとした歴史部分を解消する役目をになっていた。

オリジナルキャラクターは名もなき民の声として、主軸の光秀に想いをぶつける、そして成長を促す。かなり重要な役どころとなってまいった。次回は、上洛して畿内での激しい戦いへと進展して参る。目が離せぬな。

それでは、皆で28話「新しき幕府」を楽しもうぞ、それでは、さらばじゃ!

(参考文献)
『大河ドラマ・ガイド 麒麟がくる後編』(NHK出版)
『信長公記』
『完訳フロイス日本史』(中公文庫)

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