優先順位をつけることは悪いことではない
対象無差別に愛を求める人には、そうした関係やそうした人がいない。どの人との関係が特別ということがない。だから生活の焦点が定まらない。あっちにふらふら、こっちにふらふらとしていて、生活にしっかりとした根が張ってこない。
誰とも関係があるような、誰とも関係がないような不確かな生活である。今日が明日につながらない。昨日の関係が今日の関係につながってこない。時間をかけて人生がブロックのように一段一段積み上がっていかない。
「この人」との関係は代えがたい本質的な心の満足をもたらしてくれるという人を持つ人は、生活の焦点が定まる。だから、仕事でも何でも「これは引き受ける、これは断る」という整理ができる。
多少スケジュールに無理をしてもこの人には会う、体力が消耗しているから今はこの人には会わない。あの人に会うよりも図書館に行って勉強する。これを買うのを我慢して高いけどあのレストランで体に良い食事をする。
つまり心の基準があるから取捨選択の基準ができる。さらに心の基準があると、今自分は自分にとってどの程度重要なことをしているかが分かる。うつ病になるような人は、疲れても休めない。それは心の基準がないからである。
心の基準がないと、これはできなくて評価が落ちても仕方ない、これは多少無理してもしなくてはならないという選択ができない。そうなれば疲れて倒れるか、一切を投げ出して怠惰になってしまうかになるだろう。
「自分のある人」というのは、対象無差別に愛を求めている人ではないということである。「この人」との関係は代えがたい本質的な心の満足をもたらしてくれるというものを持っている人は、ものごとの優先順位ができてくる。
「何をおいてもこれはしなくてはならない」という優先順位の一位から「時間と体力があればこれはする」ということまで順位ができてくる。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。