他者や過去に対して“束縛する人”は、長いあいだ社会人生活を送る中で、一度は出会う“迷惑”な人の一種ではないだろうか。こうした人は自然の変化にさからうことで、ストレスが増し、それがさらに内面の憎しみと恐怖を増大させる、と加藤諦三氏は指摘している。
加藤氏の著書『「自身が持てない人」の心理学』では、心に何らかの問題を抱える人が、過去に経験してきた環境やトラウマについて解説している。本稿では、束縛をしてくる人が恐れる「変化」に関する一説を紹介する。
※本稿は、加藤諦三氏(著)『「自信が持てない人」の心理学』(PHP研究所)より、一部抜粋・編集したものです。
自然の流れにさからうと、ストレスは増大する
自分を束縛することなしに、他人を束縛することはできない。つまり他人を束縛する者は、実は自分の精神をも萎縮させているのである。
恋愛をして恋人を独占欲から縛りつける人がいる。あれもしてはいけない、これもしてはいけない、あの人とも会ってはいけない、この人と会ってもいけない、と。
しかし、こうして相手を束縛することで、この人は自分自身を束縛してしまうのである。自分をどんどん受け身の人間にしていってしまう。そして、より嫉妬深くなり、体の調子も悪くなる。食欲もなくなり、運動しようという気にもならない。
自分の関係者を自由にしてあげることで、実は自分自身が自由になっていくのである。恋愛だって、親子関係だって、同じである。子供を縛りつける親がいる。子供が積極的に成長することを喜ばない親がいる。
いつまでも子供が自分から離れないことを心の底では願っている。そして、いつまでも独り立ちできず、自分に従順であることを心の底で喜ぶ親がいる。そのように他人を束縛することで、実は自分にストレスを課していることに、その人は気づかない。
変化こそ自然なのである。その自然の流れにさからうことで、ストレスは生まれる。現在にしがみつくことで、ストレスは生まれる。
現在の地位に、現在の財産に、現在得ている名声に、それらにしがみつくことで、ストレスは生まれる。
現在の立場が自分にふさわしくなくなれば、その地位をしりぞくのがよい。それが新しい立場を獲得する方法である。なんと多くの人が、現在の財産にしがみつくことで、多くのものを失ったことだろう。
変化は心理的安定を乱すが、変化こそが「自然」
ゲバラは、キューバ工業相の地位をうち捨ててボリビアに渡って、ゲリラ活動を指導したのであった。政府軍にとらえられても、彼は確実な幸福を味わっていた、と私は信じている。
人間の心理的安定にとって、変化は危険である。しかし、変化は自然の流れなのである。昨日のあなたは、今日のあなたではない。今日の私は、明日の私ではない。自分の変化、自分の回りの変化、それを押しとどめようとすればストレスが高まり、時には病気になる。
何だか調子が悪いという時、自然の流れにさからっているのである。自分の回りのものを何もかも独占し、自分の都合のよいように動かそうとすれば、ストレスが高まるのは当然である。
あるものを独占しようとする人は、そのものに憎しみと恐怖をいだいている場合が多い。自然の流れ、自然の変化に身をまかせられないのは、自分の内面が憎しみと恐怖に占領されているからである。
自分の内面が憎しみと恐怖に満ちている親は、時間の経過とともに親子関係が変わることを受けいれられない。子供が10歳になっても、20歳になっても、3歳の時と同じ関係を保とうとする。自然の変化にさからうことで、ストレスが増し、それがさらに内面の憎しみと恐怖を増大させる。