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金融資本主義を過信した「戦後世代」、疑問を抱く「ミレニアル世代」

出雲充(株式会社ユーグレナ社長)

2021年02月28日 公開 2022年12月19日 更新

 

戦後世代の価値観との違い

私は、東京郊外のごくごく一般的な住宅地で育ちました。父は会社員で、母は専業主婦、二つ年下の弟が一人いる平凡な4人家族で、貧乏でもなければ特別に裕福なわけでもない、典型的な「中流家庭」でした。「もの」は十二分に行き渡っており、生活において何一つ不自由したことはありません。

第二次世界大戦後まもなく起業した方々は、「もの」がまったくないところから出発しました。生活必需品もなければ、食べるものもありませんでした。

だから、「まずはお金持ちになりたい。そして、ほしいものをたくさん手に入れたい」という強い思いを抱き、それが原動力となって高度経済成長を成し遂げたのだと思います。

寝る間も惜しんで働くことで成功をつかみ、大金を手に入れた人たちは、大きなお屋敷を建てたり、高級自動車を何台も買ったりしました。

私は子ども時代、普通に生活を送るうえで金銭的に困ったことがないため、大きなお屋敷を見ると、「掃除が大変だろうな」などと思ったりしたものです。

ものがなかった時代を経験した人、貧しい時代の記憶がある人にとってみれば、高級自動車が1台だけでは不安なのかもしれません。それが盗まれたら、壊れたらと思うと、2台、3台持っておきたいと思うのが心理でしょう。

戦後世代にとっては、家や自動車を所有することがある種のステータスでした。家を買うことは一国一城の主になることだと言われましたし、マイカーがあることで家族旅行が自由にできたり、買い物が便利になったりするなど、生活が豊かになったことも事実です。

ですから、戦後世代が、様々な「もの」を所有することを望んだのは当然のことだったと私は思っています。

これに対してミレニアル世代は、戦後世代のおかげでもたらされた高度経済成長による恵まれた環境で育ったおかげで、物欲というものがあまりなく、「もの」に特別なステータスを感じません。

「使いたいときに使えるのなら、所有するよりも共有するほうが効率的だし、地球環境にもいいよね」という感覚です。

お金に対しても、生活に困らない程度にあればいいと考えているため、「とにかく儲ける」人たちに対しては、「そんなに儲けてどうするの?」「なぜ、使い切れないほどのお金があるのに、まだ稼ごうとするの?」と不思議に思ってしまいます。

こうした感覚や価値観をもっているミレニアル世代だからこそ、リーマンショックを目の当たりにした当時のアメリカの大学生は、これまでの資本主義、金融資本主義の延長線上に明るい未来はないと強く感じ、ソーシャルビジネスに挑戦するなど、持続可能な社会を目指す方向に向かって進み始めたのではないでしょうか。

 

日本人を変えた東日本大震災

アメリカの大学生がリーマンショックでこれまでの資本主義の限界に気づいたのと同様のことが、日本では2011年3月に起きました、東日本大震災と、その後の福島第一原子力発電所の事故です。

このときまで、日本人の多くが、自然の偉大さ、恐ろしさを忘れていました。

また、科学の力によって100%何でも解決できると信じていましたが、自然は予測不可能であるという事実が、目の前に突きつけられたのです。

自然というものがいかに偉大であり、ときに恐ろしいか。世の中はそんなにシンプルではなく、もっと複雑なものだということ、私たちが忘れていた自然に対する謙虚さを、東日本大震災と原子力発電所の事故が思い出させてくれたのです。

どんなに大きなお屋敷であっても、高級自動車が何台あっても、津波はすべてを流し去ってしまいました。それを見た日本のミレニアル世代は、自然と科学が共生し、よりよい未来を目指す方法を考え、模索するようになります。

科学によって世の中の問題は100%解決できるというのは、あまりに楽観的、かつ傲慢な捉え方だったのではないかと、反省したのです。

もちろん、このように考えるようになったのは、ミレニアル世代に限りません。世代に関係なく、日本人の多くが震災直後、同様のことを考えたのではないでしょうか。

少なくとも、これまでの金融資本主義を推し進めていけば、明るい未来が訪れるという神話は、日本では3・11のときに崩壊したと私は思っています。

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