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インド出身の女性が国際結婚して痛感した「日本とイスラム社会の違い」

塩谷サルフィマクスーダ

2021年05月18日 公開 2024年12月16日 更新

インド出身の女性が国際結婚して痛感した「日本とイスラム社会の違い」


塩谷サルフィマクスーダさんの出身地、インドのスリナガルで見られるハウスボート 

近年ますます重要になっている日印関係。インドから日本に嫁ぎ、母親として、経営者として、大学教員として活躍する塩谷サルフィマクスーダ氏が、両国で感じた文化や仕事観の違いを紹介します。

本稿ではインドから日本に渡り国際結婚をした同氏が、国際結婚に関する法整備の遅れや女性の権利問題が日本の国際化を妨げていると指摘している一説を紹介する。

この記事は塩谷サルフィマクスーダ著『誇れる国・インドと日本 ~仕事・家族・教育、それぞれの文化と生活~』から抜粋したものです。

 

国際結婚でおこる法的な問題

国際結婚についても、地域の国際化により、年々多くの問題が起きているのは事実です。私が結婚した時にはまだ、国際結婚はそれほど多くはない時代でした。

国際結婚で日本に定住する場合、二つの方法がありました。一つは日本で結婚し、日本の役所、外国人配偶者の国の大使館や領事館に届ける"日本方式"と、外国人配偶者の国で結婚し、日本大使館や領事館に届ける"外国方式"です。

日本で結婚する場合は役所に届ける方法『民事婚』となり、婚姻届と外国人配偶者の身分証明書と、出身国によって異なりますが、母国での結婚具備証明書などが必要となります。外国人配偶者の国で結婚し、日本に呼び寄せる場合は、その国で結婚したことを証明する書類が必要となります。

また、民事婚ではなく、『宗教婚』の場合は、その宗教にもとづいた証明書が本物であることを証明する、国の証明書と訳文をつけて、在日本大使館や領事館、あるいは帰国し、外国方式で結婚したことを証明し、婚姻届を提出するのです。

私はインドのカシミールでイスラムのシャリーア法にもとづいて外国方式で結婚し、来日しました。日本で結婚した場合はビザの変更(配偶者ビザ)で日本に滞在することになりますが、外国で結婚した場合は、結婚を証明してビザを取得した後に日本に"招聘"されることになります。 

国際結婚の最も大きな問題は離婚裁判が不公平であることです。これは外国人配偶者だけでなく、外国人を配偶者に持つ日本人女性にも起きています。

日本の法律だけでなく相手国の法律を考慮した判決、日本と他国での実質的な重婚、婚姻時の配偶者の有無の確認の甘さなどが、このような問題を引き起こしています。その結果、日本人が正しいという主張が認められ、かえって差別や偏見を助長しているといえます。

これまで私たちはこれらの問題に対して、政府や裁判所の判断を信じて、決定(判決)後の彼らの将来について話し合ってきました。

しかし、日本の裁判の判決を、判例や前例にもとづいてのみにすることは、先進国と言われる日本、または日本人にとって恥ずべきことであり、許されないことだと痛感しています。後に私自身にも離婚問題が持ち上がり、カシミールでの婚姻が無効だという判決が下されてしまったのでした。

「自ら結婚契約書に署名したサインが、外国語で書かれていたので、内容が理解できなかったとの理由で契約書が成立していないと判断した」という高裁の判断でしたが、司祭や通訳などの立会人が十数人もいる中での署名が理解できないというのは、到底納得できるものではありませんでした。

もとより、平穏のうちに成立した婚姻関係が無効ということは、外国では認められている結婚が日本では認められないということであり、インドの婚姻の上で成り立っている私自身のビザや永住権の取得、子供たちの国籍の取得などに関しての解釈がどうなるのか、大きな矛盾を孕んだ人権問題だといえます。

どの国から来ても結婚するのは私たち同じ人間なのだから、法律を変えるなど、国が責任を持って受け入れ体制を整えないとダメということです。

例えば離婚をして、永住権がないから「もう帰れ」となれば、海外での日本のイメージが悪くなります。現状はそうなってしまうのです。日本を愛する私にとってもそうなって欲しくはありません。少なくともインドの裁判ではこうした問題は裁判にはなりません。

今後はますますたくさんの外国人たちが日本にやって来ます。みんな同じ人間だから、恋をするし、このような問題は増える可能性は高いと思います。そのためにいろいろな国で法律をつくって整備しているのであって、日本もそうしていくべきでしょう。

 

神ではなく紙を信じる日本

日本人は"紙"を信じています。"神"の誤字ではありません。紙にきれいに書かれてあったら、安心して信じるのです。インドでは紙は関係ありません。あくまで"人"が中心となるので、レジュメなどを見ながら何かをするといったことはないのです。

友だちが増えますと、銀行などに行っても行員の友だちがいて「マクスーダ、元気?」などと親しく挨拶を交わします。それは楽しくていいのですが、さて手続きをとなると「身分証明書をお願いします」って言われてズッコケて、まるでコントです。

「何それ?」って頭にくることがあります。規則はわかるのですが、インドであればかまわずパッパとやってしまいます。そのあたりは日本人の几帳面さとインド人の臨機応変、悪くいえば雑なところの文化の違いが感じられておもしろくもあります。

それから、これも銀行での話ですが、完璧な対応をしている行員が上司にわざわざ確認しに行くのを見て、「仕事ができないくせに、部下に仕事をやらせておいて何よ」と、その上司に文句を言ったこともあります。

以来厳しい女と言われていますが、仕事がちゃんとできるのにどうして上司の許可が必要なのかが理解できませんでした。このように労働文化も日本とインドとはまったく違います。

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