休校明けの対応で浮き彫りになった「教科書“を”教える」学校教育
2021年06月01日 公開 2021年07月09日 更新
授業の「質より量」を優先する教育委員会と教師たち
土曜授業や7時間目まで補習や、さらに夏休みの大幅な短縮なども含めて、これらはすべて学習ないし授業の「量」を重視する考え方と言えます。
ですが、本来問われないといけないのは「質」のほうです。おもしろくもない授業を平日7時間目や土曜まで、あるいは夏休み返上で猛暑のなかでやられても、子どもたちにとってはたまったもんじゃありません。質を伴わない量の拡大は、子どもたちの意欲や関心という観点では逆効果です。
休校中の大量の宿題については、その内容とフォローアップという意味で「質」に疑問の残るものも多くありました(その子に合ったものだったのかなど)。
それによって結果的に子どもたちの意欲や好奇心を損ねてしまった可能性もありました。こうした休校中のいわば「失敗」を、学校が再開した後も繰り返してしまう地域もたくさんあったのです。
教科書を進めることが「学びの保障」ではない
効果が怪しいうえに、児童生徒・教職員にとっても、負の影響や負担も大きい土曜授業や7時間目、夏休みの大幅短縮などにかなりの数の自治体、学校が邁進したのはなぜでしょうか。学校現場の先生たちから度々聞いたのは「教科書を年度内に終わらせないと」という言葉です。
受験を控えた中学3年生ならありがちな話ではありますが、そうでない学年の先生からもこうした声は多数上がりました。文科省は一部の単元を翌年度や翌々年度に繰り越してもよいと通知してきました。
ただし、これはあくまでも特例的な措置という性格ですし、年度をはさむと教職員の異動もあるので、この特例を使う学校が多いとは考えにくく、年度内の詰め込みに動く学校が多くなるという予測もありました。
そうは言っても、例えば一部の単元は当初の計画よりは速めに進めたり、一部は翌年度にもち越したりして、児童生徒にとって負担が大きくなり過ぎないように教育課程を編成しなおすことは、各学校の権限と工夫のなかで可能だったはずです。土曜授業や夏休みの大幅カットをせずともです。
ちなみに、教科書というものは使用義務はありますが(学校教育法第34条)、それは主たる教材として使いましょうということであって、教科書の記述を端から端までなぞるような「教科書を教える」授業が求められているわけではありません。「教科書で教える」ことはあってもです。
「ともかく教科書を進めないと」といった言動から垣間見られるのは、教師たちのやや硬直化した捉え方です。
もう少し厳しい表現をすると教科書を使って、子どもたちの知識等を深める、理解できるようにするという当初の狙いがいつの間にか脇に置かれて、教科書を終えるという手段が目的化してしまっている傾向です。
各学校、教育委員会では「教科書を終えられたら、あるいは受験に間に合ったら、それで子どもたちの学びを保障したということになるんでしたっけ? 学校の役割ってそういうものでしたっけ?」という問い直しが必要だったと思います。