「減らす、片づける、磨く」 仏道に教わる、幸せになれる“掃除の習慣”
2021年07月14日 公開 2022年06月06日 更新
毎日の習慣をあらためて見つめ、丁寧に行なうことは心の雑念を払うことにつながるのではないでしょうか。僧侶の松本紹圭さんに、身のまわりを整える大切さについて教えていただきます。
※本稿は、『PHPスペシャル』2021年6月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「一掃除 二勤行とや 落ち葉掃く」
法然院の大玄関の衝立に、大きな文字でこの句が書かれています。
多くの人が、日々の暮らしに変化を余儀なくされることになった2020年。おそらくその変化の波はこれからもしばらく続き、政治も経済も信頼できなくなりつつある時代に、私たちは生きています。
急速な進化を続けるテクノロジーは、はたして私たちを守るものなのか。未知なる見えないものは、これまでもつねに私たちと共にありましたが、無いことにはできない圧倒的な現実を、今、目の当たりにしています。
「確かな何か」を探しても見つけることができないこの世の中で、尽きない不安や恐れから私たちを守るものとは――。
今から2500年前に、仏陀は、その答えを内包するありように辿り着きました。今でも彼方から、仏さまは現代を生きる私たちに呼びかけてくれています。
掃除の習慣は幸せな人生の始まり
冒頭にある言葉が書かれてある法然院は、もともと江戸時代に、浄土宗の僧侶の修行道場として生まれました。ここでは、「いかなるお勤めも、まず先に掃除をなさい」とお坊さんに言っています。
仏道における学びの基本は「戒定慧(かいじょうえ)」の三学。
・「戒」は戒律 良き習慣を身につけること
・「定」は集中力 集中と平静を保つこと
・「慧」は智慧 自己と世界を明らかに見ること
これを一本の樹にたとえるなら、戒は〈根〉、定は〈幹〉、慧は〈実〉。豊かな樹木を成り立たせるのは、大地から充分な水と養分を吸収し、全体を支える安定した根があってこそ。
根を育てる=「戒」(習慣)を保つ。言い換えれば、ふさわしい習慣や言動を保ち、集中と気づきのある心であってはじめて、明らかに物事を見て、考える智慧が生まれるということです。
仏道とは、仏陀になる道。仏陀とは、一切の煩悩から離れ、自らの安心に生きられたお方です。お坊さんたちは、その道をゆきながら、何より日々の「掃除の習慣」を大切にしています。
そして、仏道の目的が「自他の抜苦与楽(ばっくよらく)」であるなら、自らを含めたあらゆる存在の苦が解かれ、健やかな巡りを生む持続可能な習慣を保つことこそ、幸せな人生の始まりとも言えるでしょう。
どんな状況にあっても、何処にあっても、私たちは、この身体とほんのわずかな道具さえあれば、目の前に「抜苦与楽」を果たしながら、何処でもない、ここにある安心を生きてゆけるのです。
人の一生とは、何かをつかんだり何処かへ到達したりするものではなく、ゆるみなく歩み続けるものです。身のまわりを手当てし続けるその過程に、誰のものでもない安心と豊かさが湧いてきます。