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生き方

生きづらい理由は「理想の自分」を追求しすぎているから

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年09月30日 公開 2024年12月16日 更新

生きづらい理由は「理想の自分」を追求しすぎているから

生きることが辛い人の心の底にあるものは何か。わたしたちはもっと自分にやさしく生きていいのではないか。

今まで多数の人生相談を受けてきた加藤諦三氏は、著書『自分にやさしく生きる心理学』にて、人付き合いにおいて"相手から嫌われている"と感じてしまうのは、自分自身を軽蔑しているからだと語る。

理想的な自我像を追い求めるあまり、自分自身に失望してしまっているという。人付き合いを楽しめず、生きづらさを感じてしまう人の心理とは。

※本稿は、加藤諦三 著『自分にやさしく生きる心理学』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

人づきあいとは"その場を楽しく過ごす"ことをいう

自分のことを好きではない、こんな感じ方はどこから出てくるのであろうか、こんな悲劇的な感じ方が、どうして人を襲うのであろうか。

それは、自分が自分を軽蔑しているからである。自分が自分を好きでないから、他人が自分を好きだという感じ方ができないのである。

自分が自分を嫌っている。この感じ方が他人を通して現われると、他人は自分のことを好きではない、という感じ方になる。この感じ方は社会活動の妨げになるし、人生に多くの苦しみをもたらす。そのうえ、毎日が楽しくない、毎日リラックスして生きていられない。

私たちは、蛇が怖ければ蛇から逃げることができる。泳ぐのが嫌いなら、泳がなければよい。しかし、人に会うのが嫌いだからといって、人を避けるわけにはいかない。社会のなかで生きている以上、人と会うことを避けることはできない。親しい人、あまり親しくない人、まったく見知らぬ人などさまざまの人間と、私たちは接して生きていかなければならない。

まったく見ず知らずの人と接する時でも、自分に自信のある人と、そうでない人とでは、その時の気分は違うであろう。

自分に自信のある人が朝通りを歩いている。つぎつぎに見知らぬ人と出会う。そんな時、自信のある人は楽しい気持ちになるかも知れない。しかし自分に自信のない人は、朝通りで見知らぬ人に出会う時ですら、心の底のどこかで怯えているかも知れない。

もしかして話しかけられたらどうしよう、などと心のどこかでかたくなっているかも知れない。実際に人びとが自分に話しかけてこなくても、心のどこかで、話しかけられることを避けようとしているかも知れない。

人とすれ違い、笑顔ですれ違っていく瞬間も、心の底のどこかで、その人を避けようとする気持ちが働いているかも知れない。他人と接して楽しくなっていくのでなく、見知らぬ人とすれ違う時も、防衛的になっているかも知れない。

もちろん、公園を歩いていて向こうから人が歩いてくる時、いちいち話しかけられたらどうしよう、などと引っ込み思案の自分の姿勢を意識することはないかも知れない。

しかし、人から話しかけられて、その人と会話がはじまることを避けたい人と、自然にそうなったらそうなったでまた楽しいという人とでは、歩いている時の気持ちが違うであろう。一方はなんとなく固苦しく、他方はのびのびとした気持ちでいる。

自分で自分を軽蔑していると、他人が自分を軽蔑しはしないかと恐れるし、またその恐れに抗して自分の側で他人を軽蔑しようとする心の働きがでる。

人と接する時、その場を楽しく過ごそうとすることより、その人に自分が否定的に評価されないかと、その人の評価に対して身構えてしまう。相手にはこちらを評価したり判断したりする気持ちなどさらさらないのに、こちらの気持ちが、相手に対して身構える結果になる。

自分を正当に評価している人は、他人に低く評価されることを恐れたりはしない。だから他人と接していても、気が楽なのである。他人といる時、その人と一緒にいることを楽しむ。

 

理想の自我像を持つことは生きる楽しみを奪う

さて、今あなたは心の底で自分に失望していたとしよう。心の底で、自分は自分が軽蔑している人間像に一致していると感じているとしよう。

そしてさらに悪いことに、自分はそのような自分から変わることはないのだと感じていたとしよう。そしてそれらの感じ方の結果として、自分は他人の好意や真の友情に値しないのだと感じていたとしよう。

しかし今までの説明で、それはあなた自身とは何の関係もないことだとわかったのではなかろうか。もしあなたが自分を軽蔑し、自分はそのような人間でしかあり得ないのだというような間違った感じ方に固執すれば、それは、今度はあなたの子供へと受け継がれていく。

あなたが今、自分への失望感には何の根拠もないものだと気づき、それを改めていかないならば、その失望感は親から子へ、子から孫へと代々受け継がれていくかも知れない。

自分は軽蔑すべき人間でもないし、変わることのできない人間でもない。

あなたは、非現実的なまでの理想の自我像に自分を一致させることがきわめて大切なことだと思っている。それなしに生きてはいけないとさえ感じているかも知れない。

しかし、非現実的な理想の自我像はまったく大切なことではない。それは生きることに害になるだけで、生きることの意味を破壊するだけである。それは生きていることの楽しみを、あなたから奪うだけのものである。

それは、単にあなたの親の自分自身への絶望感の結果として出てきたものでしかない。あるいは別の言い方をすれば、あなたのあなたに対する隠れた怒りの結果であるにすぎない。

あなたは理想の自我像に固執している。しかしそれは、単にあなたがあなた自身に怒っていることの結果でしかない。

あなたは自分の理想の自我像を立派なことだと思っている。しかし残念ながら、それは立派なことなどではない。あなたが自分に失望し、そしてそんな自分に自分が怒っていることを一生懸命証明しているにすぎないのである。

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。   

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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