人生で大切なことは、母から繰り返し言われた「この一言」だった──。『人は話し方が9割』の著者・永松茂久氏はユニークな人材育成法を多くの人に伝えてきた。
その背景には、自身の人生を支えてくれた母からの言葉があったと語る。本稿では、その母の言葉とエピソードを綴ったドキュメンタリーエッセイ『喜ばれる人になりなさい』から、母から学んだエピソードを紹介する。
※本稿は、永松茂久著『喜ばれる人になりなさい 母が残してくれた、たった1つの大切なこと』(すばる舎)から一部抜粋・編集したものです。
くる日もくる日も親子ゲンカ
「帰ってきたか。よし、まずは後継ぎとしての心構えからだな」
「ちょ、ちょっと待ってよ。俺はたこ焼き屋になるために帰ってきたんだよ」
「なんだって?」
父は、てっきり僕が家を継ぐために中津に帰ってきたのだと思っていたらしい。親としての青写真があったらしいのだが、その息子が帰ってきたとたん「たこ焼き屋になる」なんて言い出したもんだから、我慢ならなかったらしい。
しかし僕には自信があったし、コツコツ貯めた資金もあった。
どんな反対があってもやるしかない。曽祖父に習ってリヤカー1台からでもはじめればいい。それでも立派な一国一城の主にかわりはないんだ。
そんな父と対照的に母のスタンスは「あなたがやりたいことを自由にやりなさい」だった。
もともと何かとにぎやかな永松家ではあったが、そのときばかりはかつてないくらいのお家騒動が起きてしまった。
くる日もくる日も親子げんかの繰り返し。冷静に話せばいいものを、父も僕も意地のぶつかり合い、いつもお互い引っ込みがつかなくなってしまう。
「たこ焼き屋など絶対許さん! どうしてもやると言うなら出て行け!」
「わかった。それじゃ、出て行くよ。どこかでリヤカーでたこ焼き売ってる姿見たら、1個くらい買ってね」
「3年だけ時間をやる」
リヤカーでたこ焼き屋をつくり、商店街の中でひとパック100円で試験操業をはじめた。
くる日もくる日もたこ焼きを焼く僕の姿を見て、父はやっと僕が真剣なんだと悟ってくれたらしい。
「わかった。そこまで言うなら、3年だけ時間をやる。それでダメだったら後継ぎしろ。とりあえず営業許可書もないし、アーケードだと匂いもこもるから家で実験すればいい」
父は譲歩してくれたのだが、僕にとってはそうではなかった。
「よし! 3年で答えを出そう!」
夢は目の前で現実になろうとしていた。もう前に進むことしか考えていなかった。