人生で大切なことは、母から繰り返し言われた「この一言」だった──『人は話し方が9割』の著者・永松茂久氏はユニークな人材育成法を多くの人に伝えてきた。
その背景には、自身の人生を支えてくれた母からの言葉があったと語る。本稿では、その母の言葉とエピソードを綴ったドキュメンタリーエッセイ『喜ばれる人になりなさい』から、母から学んだエピソードを紹介する。
※本稿は、永松茂久著『喜ばれる人になりなさい 母が残してくれた、たった1つの大切なこと』(すばる舎)から一部抜粋・編集したものです。
60を過ぎた母の挑戦
2013年、僕たちの陽なた家は業績が伸び、福岡の中心に出店していた。同時に本も売れ、講演も増えていったことで、地元の店は各店長たちに任せ、僕自身も拠点を移し、福岡を中心に講演活動で全国を飛びまわるようになった。当然、中津に帰る機会も減っていった。
その生活に慣れてきた頃、母から一本の電話がかかってきた。
「わあ、久しぶりだね。元気?」
「うん、元気よ。今日ね、茂久に相談があって」
その頃の母は、陽なた家や僕の事業が伸びていき、僕と弟の子どもたちのお世話もふくめ、こっちの店の手伝いに入ってくれることが増えたため、夢工房の経営権を人に譲り、お坊さんと孫たちのお守りをしながらのんびり暮らしていた。
その過程の中で、お寺のお偉いさんから、「お寺のことばかりしていないで、世の中の役に立ちなさい」と指導されたということだった。
まだ60過ぎ。たしかに引退が早すぎるんじゃないかと僕も思っていたところだった。
「でね、私考えたの」
「何を?」
「ここからの時代はね、健康がキーワードだと思うのよ。だからね、前からやりたかったフィットネスクラブをつくろうと思うんだけどどう思う?」
「っていうかもう進めてるんでしょ?」
母がこうやって「どう思う?」と聞くときは、もうすでに動きはじめていて、つまりは「背中を押して」ということだと僕はわかっていた。
フランチャイズ経営という嫌な予感
ただ1つ心配なことがあった。それは、事業形態が夢工房のように自分で立ち上げるものではなく、とあるチェーンのフランチャイズだということだった。
もともと縛られるのが得意な人ではない。マニュアル通りにしたがって仕事をするということは、おそらく人生で経験したことがないはず。
僕自身、銀だこの本部にいた経験もあり、フランチャイズ向きのタイプと不向きなタイプについては人よりわかる。母自身は完全に後者だった。
「大丈夫。もうこの歳からはじめるんだから、マニュアルがあってくれたほうがいいから」
ということで、夢工房、お寺の次の母のチャレンジはフィットネスクラブになった。
福岡で店を数店舗立ち上げながら講演、出版、そしてその頃は出版スタジオも立ち上げていたので、こちらはてんてこまい。僕自身が協力できることは何もなかった。