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生き方

「つらくても一人で頑張ってしまう人」に足りない幼少期の親との経験

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2022年02月03日 公開 2023年07月26日 更新

 

心の奥の憎しみがコミュニケーションの邪魔をする

そしてこういう人は、自分の育ったこの環境が、嫌いで嫌いでたまらない。育っている当時は気がついていなくても、あとから考えて、自分は自分の育った環境が「嫌い」であることに気がつく。

「独力でうまくやろうと全力を尽くす」ことは立派であるが、その立派な行為をするときには、心の底は憎しみである。独力でやらざるをえなくてやっているだけである。独力でやりたくてやっているのではない。そうしなければ生きてこられなかったのである。

そういう生き方できて、挫折したのが引きこもりである。自立を強制されて自立しようとした。しかし、自立に失敗した。そこで引きこもった。だれも助けてくれないから、一人で頑張る。だれも守ってくれないから、一人で努力する。

自然の願望として自立性を獲得しようと望んだわけではない。自然な成長の結果として、自立性が出てきたのではない。そのつらさがその人のパーソナリティに染み込んでいく。そして、どこか温かみのない人に感じられてしまう。だから親しい友人ができない。

とにかく、彼らは自分の育った環境を心の底で憎んでいる。子どものときも大人になってからも、無意識の世界では周囲の人々を憎悪している。無意識に憎しみがあれば、人間関係で努力してもコミュニケーションはなかなかうまくはいかない。

憎しみのある人に「打ち解けなさい」と言っても無理である。しかし、打ち解けなければコミュニケーションはできない。また、自然な気持ちを抑えて無理をして相手と付き合っているから、長い間にはどうしても相手が嫌いになる。相手が不愉快な存在になる。

だから、長い期間にわたっての親友はいないし、結婚生活も形式的には続いても、情緒的に長くはうまくいかない。この無意識の世界での憎しみが、大人になって周囲の人々に何となく感じ取られてしまう。

その結果、社会的立場や行動や意識は立派なのだけれども、周囲の人々から好感を持たれない。勤勉だけれども、人から受け入れられていない。彼らは、ときにそこまでしなくてもよいのではないかというところまで一人で頑張る。一人で努力する。

「ちょっと協調すればうまくいくのに。そうしたら楽なのに」と思うが協調しない。助けを求めない。いや、求めることができない。だれでも嫌いな人から助けてもらいたくはない。

いずれにしても、「偽りの自己」の人の特徴は、本当に楽しいことがないということである。「本当に」ということは、あとからその時代を振り返って懐かしいという気持ちになることである。

少年時代でも青年時代でも、本当に楽しい時を過ごした場所があるとする。そういう場所なら何十年経って大人になってからでも「あー、あそこに行ってみたい」と思う。そのときに体力がなくても「行きたい」と思う。お金がなくても「行きたい」と思う。そこに行くお金はもったいなくない。

仕事が本当に楽しければ、高い給料はいらない。奉仕とは、本当は自分に余力のある人が、したいからすることである。「偽りの自己」の人は、自分が奉仕しなければ相手に拒絶されるから奉仕する。奉仕しなければ、低く評価されるから奉仕する。奉仕すべきだから奉仕する。

「偽りの自己」の人は、いつも精一杯なのである。余力がない。そして、していることが楽しくない。「偽りの自己」の人は何をしても本当には楽しくない。高い給料をもらえば、だれでも嬉しいかもしれない。しかし楽しくはない。嬉しいこと、喜ぶことと、楽しいこととは違う。

劣等感の深刻な人は、人に優越すれば嬉しい。それは喜びである。しかし、それは楽しいことではない。「偽りの自己」の人にも、嬉しいことと喜びはある。しかし、楽しいことはない。燃え尽きる人なども「偽りの自己」の人である。楽しいことが何もないままに、頑張って力尽きた。

「偽りの自己」の人は、自分で自分がわからない。何度も書いているように、執着性格者ももちろん「偽りの自己」である。執着性格者は、自分が手を抜いたら相手はやってくれないと思うから頑張る。孤独を逃れるために頑張る。

もちろん、それを意識しているわけではない。無意識の領域にある孤独への恐怖が執着性格者を走らせる。ハツカネズミのように毎日走っている。だから毎日がつらい。執着性格者は、自己実現していないから自分という存在を感じられない。そこで、奉仕をはじめ、さまざまな立派な活動をする。

奉仕することによって、自分の存在がある。無理をして身銭を切っている。だから、奉仕する相手に憎しみを持ってしまう。奉仕したくて奉仕するときには、相手に対してやさしい感情を持つはずなのに。

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。   

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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