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堀江貴文「大人を演じる生き方はごめんだ」

堀江貴文(実業家)

2022年03月28日 公開 2024年12月16日 更新

 

「大人になれよ」という同調圧力

ある人からは、こうも指摘された。「世間に対して詫びる必要はまったくないけれど、多くの人に誤解されている"ホリエモンのイメージ"に、お詫びしなさい」と。

何だか複雑でよくわからない構図だけど、それが正しい方法だったのかもしれない。つまり「演じなさい」ということだ。僕がおとなしく謝れば、世間の「感情」をなだめることもできたのだろう。しかし、そんなパフォーマンスをするなんて、絶対に願い下げだ。

「悪いことをしていないのに頭を下げること」は皮膚感覚的に耐えられない。村上さんはそこを演じられる"大人"だが、僕にはそれができなかった。

僕にだって守りたいものはある。一度自分に嘘をついたら、一生自分に嘘をつき続けなければいけなくなる。どんどん自分が自分ではなくなっていくだろう。そんな生き方はごめんだ。

あのとき頭を下げなかった僕は、自分が築いてきた会社も、地位や名声も、そして夢さえも失った。でも、まったく後悔していない。もし、あそこで僕が"大人"になり、世間に謝っていたら、その後悔は一生ついて回っただろう。

ここで、"大人"について定義をしておこう。

僕はこれまで何度となく「大人になれよ」と言われてきた。彼らが言う"大人"とは、「周りの空気を読み、自分の意見を抑え、その状況を無理やり納得するために、自ら進んで思考停止のプロセスに入っていける人」を指す。

そんな"大人"たちが、僕にまで「大人になれよ」と同調圧力をかけてくる。それは「大人になれ。後で便宜をはかってやるから」と交換条件を出されているのと等しい。相手から「イヤ」という感覚を奪っていこうとする。それは、とても危険な"洗脳"だろう。

皮膚感覚でイヤなものは、どう思われようと断固として断るべきだ。なぜなら、皮膚感覚でイヤなことを受け入れた後の後悔は、決して拭えないからだ。これが僕の主張。藤田さんは、こんな僕のことを「青い」と笑うかもしれない。

さて、あなたはどう思うか?

 

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