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生き方

泣いた我が子より自分の方を見て...パートナーの「無自覚な独占欲」の正体

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2022年05月13日 公開 2023年07月26日 更新

 

強い執着心を生み出すのは「幼少期の喪失体験」

自分が母なるものと一体となってこの世に誕生してきた人と、はじめから全体と引き裂かれてこの世に誕生してきた人とでは、生涯にわたって心理的安定に大きな違いが生じる。そして多くの人は自分の愛情喪失体験に気がつかないでいる。

ことに自分の現実の母と一緒に暮らしている人は気づかない。現実の母が常に母なるものを持った母親ではない。現実の母が、本来母なるものが与えるものを与えてくれるわけではない。

むしろ現実の母を小さい頃失ってしまった人のほうが、自分は本来母なるものが与えてくれるものを欠いているのではないかという反省をする。それだけにもしその欠如があるならそれに気づくものである。

この世の中には死ぬまで母と同じ屋根の下で暮らしながら、母なるものが与えるものを欠いて生きている人がいる。母なるものが与えるものは、やはり一体感であろう。

一言で幼児的一体感というが、その幼児的一体感を安定して持っていられる人というのは案外少ないのではなかろうか。だからこれだけ多くの人が自らの執着心に苦しみ、焦る自分をもてあまし、不機嫌な自分に苦しみながら一生を送るのではないだろうか。

たとえ現実の母を小学校に入る前に失っても、その前に十分幼児的一体感を味わっている人もいる。現実の母が母なる存在である時、たとえ早く失ってもその人は幸せな人である。

現実の母が冷たい利己主義者であるなら、60歳まで共に暮らしても、心には重大な空白があるに違いない。

現実の母が、子供より自分の金銭的利益が大切な時、子供は喪失体験を避けることはできないであろう。母自身が心理的に不安で、とても子供のことなど思いやるゆとりがない時、子供は心の底で自分は拒絶された存在であると感じるに違いない。

そのような喪失体験が深刻であればあるほど、大人になって何かにしがみつく人間になっていくのである。しかし、いくらしがみついても安心できない。また所有によって安心しようとし、とにかくものを所有しようとする。

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。  

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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