1. PHPオンライン
  2. 生き方
  3. 「休みたいのに休めない人」に共通する“罪悪感”の正体

生き方

「休みたいのに休めない人」に共通する“罪悪感”の正体

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2022年05月20日 公開 2023年07月26日 更新

「休みたいのに休めない人」に共通する“罪悪感”の正体

疲れが取れなかったり、体調や気分が優れない時、「今日はゆっくり休みたい…」と思うことはないだろうか。

しかし、まだまだ世間一般的に「休むこと=悪いこと」という印象が強く、真面目で責任感が強い人ほど、気軽に「休みたい」と言えず、仕事や育児などあらゆる場面で無理をしてしまう人が多いようだ...。

「人は頑張ったり、疲れて休んだりしながら成長していくのである。頑張ることも生きることだけれど、休むこともまた生きることなのである」

早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏は、著書『心の休ませ方「つらい時」をやり過ごす心理学』にて、このように記している。

その中の一節より、休むことの大切さ、前向きに生きるために身につけたい考え方について紹介する。

※本稿は、加藤諦三著『心の休ませ方 「つらい時」をやり過ごす心理学』(PHP文庫)を一部抜粋・編集したものです。

 

休むことも「生きること」

あなたは、いま頑張ることで物事を解決しようとしてはいけない。休むことで解決しようとすることである。

だから、もう何もできなくなって休んでいるあなたはそれでいい。間違ってはいない。あなたは普段から全速力で生きてきた。

作家でいえば「今日は寝ずに50枚書いた」というような作家である。それが1年続けば気持ちも萎える。体も疲れる。燃え尽きる。

リラックスして原稿を書いているから続く。人は頑張ったり、疲れて休んだりしながら成長していくのである。頑張るだけで成長していくのではない。

頑張ることも生きることだけれど、休むこともまた生きることなのである。

あなたは、努力するとか、耐えるとかいうことを無条件に望ましいとしてきたことが間違っているのである。

無理をしても「そのことをすることは望ましい」としてきた価値観が間違っているのである。

「私は真面目に生きてきた、私は必死になって努力してきた、それなのにいいことは何もなかった、ただただ辛いだけだった」という人は基本的なことで間違っていたのである。

頑張ることだけでは何も解決しない。生きることに疲れたあなたにいま必要なのは、努力でも頑張りでもなく、休むことであり、この機会に生き方を変えることである。

あるいは人を見る目を変えることである。肯定的なことに目を向けることである。努力と意志だけでは物事は解決できない。上手に生きる知恵が必要である。

そうすれば、自分には明るい素晴らしい人生が必ず待っていると信じることである。

肯定的なことに心を向ければ、暗い顔をしていたのが、明るい顔になり、何かが違ってくる。

生きる姿勢を変えれば、周囲に集まる人も違ってくる。

 

覚悟を決めて己と向き合う

真面目に頑張って頑張って、それでもただ辛いだけの人は、生きるための知恵を働かせる時が来ている。大切なのは、なぜ自分はそのような役割を演じてきたのかという反省である。

いまと同じ生き方の姿勢ではどんなに頑張っても実り少ない人生である。基本的に間違った態度で人生に立ち向かえば、頑張っても辛いだけの人生である。

だから、疲れたいまは休養と反省である。そして、疲れたいまは自分には違う道があったと気がつく機会である。

あなたはいまの悩みの種を過去のどこかで蒔いている。その蒔いた種が成長して、いま実ったのである。

理由もなく生きることに疲れることはない。生きることに疲れるようにいままで生きてきているのである。

いまあなたが疲れているのは、それを収穫しているということである。だから悩み始めたら覚悟をして収穫することである。

そしていつか、「あの過去があったからいまの幸せがある」と思う時が来る。

次のページ
幸せへの1歩は「現実を認めること」

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

関連記事

×