「ルッキズム」について考えてみよう
「かわいい」「かっこいい」「イケメン」「ブサイク」「ブス」「チビ」など、人の外見に関する言葉を使っていないでしょうか。外見だけで人を判断した経験はないでしょうか。学校で見た目が魅力的な人ほど優遇されるような状況や、見た目をいじったいじめはないでしょうか。見た目に悩み、美容整形をしたいと考えている人もいるかもしれません。
外見だけで人を判断することを「ルッキズム(外見至上主義)」といいます。どんな人を「かっこいい」と思うか、「かわいい」と思うかは自由です。でも、容姿が魅力的な人とそうでない人で極端に得をしたり、損をしたりするのはいいことなのでしょうか。容姿が魅力的な人とそうでない人で対応を変えることは善いことなのでしょうか。
たとえば、ある研究では身長が高い人のほうが低い人より収入が高かったり、就職で採用されやすいという結果が出ています。男女格差をなくすために差別される側を優遇することを「ポジティブ・アクション(積極的格差是正措置)」といいますが、身長にも同じ考えを適用すべきと考える人もいるほどです。
見た目で判断するのはよくないと思っていても、無意識の偏見が影響しているかもしれません。「見た目」で人を判断するのはしかたのないことなのでしょうか。人種や性別と同じように、ルッキズムは差別になるのでしょうか。
勝ったら「正義」で、負けたら「悪」なのだろうか?
「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということわざがあります。その意味は、戦いに勝ったほうが「正義」、負けたほうが「悪」で、どんな事情があれ、強いほうが正義であるということです。
もし学校で友達同士のなぐり合いのけんかがあったとします。そのときも「勝てば官軍、負ければ賊軍」と考えてもいいのでしょうか。それが弱い者いじめでも負けたほうが悪いといえるでしょうか。
これからの人生で誰かと争うことはあるでしょう。どんな手を使ってでも勝ちたいと思うかもしれません。そのときは負けて「悪」にならないように、何がなんでも勝つほうがいいのでしょうか。
一方で、日本にはけんかや争いがあったら、どちらの言い分も認めず、「どちらも悪い」と双方を処罰して決着させる「喧嘩両成敗」という考えもあります。
パナソニックの創業者で「経営の神様」といわれた松下幸之助は、「商売をやるときに『勝てば官軍』という考え方はいけない」と言ったといいます。彼は商売をするうえで、利益という「結果」が大事だけれども、結果ばかりを求めて商売をすると、結果を出すためにズルをしたくなったりして、結局は失敗すると考えていたのです。
「何が正しいのか」だけでいいのだろうか?
義務論(どんな結果になろうとも、正しい行為をすべきという考え方)や功利主義(できるだけ多くの人々が、できるだけ幸せになる行いが善い行為とする考え方)は、「何が正しいのか」を追求する考え方でしたが、それだけで本当にいいのでしょうか。
たとえば、目の前に苦しんでいる人がいます。人を助けることが「正しい」と考えるのが義務論です。「助けたほうが、幸せの総量が多くなるから正しい」と考えるのが功利主義です。しかし、目の前に苦しむ人がいるとき、「正しい」かどうかよりも「私が助けなかったら、この人はどうなってしまうのだろうか」と考えないでしょうか。
近年、他人の苦しみなどに対して、相手の立場になって「その人たちはいったいどんな気持ちで、何を必要としているのか」を考える「ケア(思いやり)の倫理」という考え方が注目を浴びています。
私たちはひとりで生きていけません。赤ちゃんはおうちの人に生活のすべてを世話してもらい、大きくなっても病気になれば誰かに看病してもらい、年老いたら誰かに介護してもらいます。他人との関わり合いを避けられない以上、自分の目線からだけでなく、目の前の相手を大切にして考えるのが「ケアの倫理」の特徴です。
こうした考え方が注目を集めるのは、今の世界から「思いやり」が少なくなってしまっているからかもしれません。