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猪木の顔面を毒霧で染めた...超大物にも動じない「グレート・ムタの世界観」

武藤敬司(プロレスラー)

2022年05月25日 公開

 

猪木の引退カウントダウン第1弾が決定

ホーガンとのシングルマッチに続き、ムタの一大ビッグマッチが1994年5月1日に福岡ドームで行われた。あのアントニオ猪木さんとの試合だよ。

俺はあまり意識していたわけじゃないけど、この時期の新日本のリングでは世代闘争というのが繰り広げられていた。日本のファンは好きなんだ、そういうのが。

この年の1月4日の東京ドーム大会で、天龍源一郎さんが猪木さんにシングルマッチで勝った。その天龍さんに当時IWGP王者だった橋本真也がノンタイトル戦で勝って、あいつが新日本のエースみたいな路線になっていくんだよ。

それを受けて、長州力さんと藤波辰爾さんと天龍さんが結託して、闘魂三銃士世代との闘争が始まるわけだ。でも、そんな中で猪木さんの引退ロードとなるファイナル・カウントダウンのスタートが発表されて、第1弾がアントニオ猪木vsグレート・ムタというカードだった。

猪木さんが引退すると聞いた時は、俺も若かったから「遂にか…」くらいの感想しかなかったと思うよ。実際、猪木さんも歳を取っていたしね。

その時の猪木さんの年齢を超えた俺は、今でもプロレスをやっている、でも、あの頃はまだ若かったし、猪木さんが引退という道を選んだことを普通に受け入れたよ。

このファイナル・カウントダウンの一発目にムタが選ばれた理由は、特に会社から説明がなかった。猪木さんも何かしら、ムタの長所を見たところはあるのかな。

俺の方からやりたいと言ったって、成立するカードじゃないからな。ただ、ひとつ言えるのは橋本なんかとは猪木さんは絶対にやらないよ。

 

天龍源一郎が試合中に「ムタで来い!」

その猪木vsムタのカードが発表されたのは、4月4日の広島グリーンアリーナ大会だった。その日、俺は武藤敬司として蝶野正洋と組んで、長州&天龍と対戦したんだけど、まさに世代闘争的なカードだよな。メインでは、橋本vs藤波のIWGP戦も組まれていたよ。

でも、猪木vsムタというカードが発表されて、その世代闘争が吹っ飛んでしまった。それはムタの責任ではないからね。カードを組んだのは、会社だからさ。

この広島大会の試合で、天龍さんが俺に対して「ムタで来い!」と挑発したんだよな。それに応じて俺は途中で控室に帰って、ムタがリングに戻ってくるという展開になったんだ。

まあ、猪木さんとの試合しかり、天龍さんの挑発しかり、やっぱりこの頃は武藤敬司よりグレート・ムタの方が商品価値があったということだよ。

この試合後にはリングサイドにいた猪木さんとにらみ合いになって、毒霧を吹きかけた。猪木さんはストロングスタイルがどうのうこうのと言うけど、やっぱりアメリカンスタイルの人だよな。だから、こういうストーリー作りはやりやすいよね。

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猪木とムタだからこそ作れた「競技っぽくない間」

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