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『昭和の女優』(伊良子序:著) に書かれていること

2012年05月10日 公開

伊良子序

『昭和の女優』 まえがき

「昭和は遠くなりにけり」。近頃、そんな声をよく聞くようになった。

これからは平成生まれの人たちが社会の中心を担う時代になってゆく。不透明、混迷、指針なき時代。まったく見通しのきかない社会で、みんなが不安をつのらせている。自分たちはどう生きたらいいのか? 若い人たちから問われても、明快に答えられない。いつのまに、こんな社会になったのだろう。

「昭和」はそんな時代ではなかった。ただし「昭和」といっても、ひとくくりにはできない。なにしろ64年も続き、明治以降でもっとも長かった元号である。世界大恐慌に始まって、長い戦争を経験し、そして全土が焦土になった敗戦。そこから戦後復興、高度成長へとめまぐるしく世の中が変わった。「昭和元禄」と浮かれたあげく、バブル崩壊。そして意気消沈したまま平成に入って、今日に至っている。

見果てぬ夢を見ては、つまずく。「昭和」はその繰り返しだった。

私は戦後生まれの、いわゆる“団塊の世代”と呼ばれるベビープーマー大集団の一員だ。右肩上がりの時代に少年期、青年期を過ごし、壮年期、中年期に雲行きが怪しくなって、老年に達したとき、深い霧の中で道を見失いそうになっている。

「映画が教科書だった」と生涯語り続けたのは、「サヨナラ、サヨナラ」の名映画評論家、故淀川長治さんだった。ことに戦後の何もなかった時代、映画は最高の娯楽であり、社会や人生を学ぶテキストだった。映画人口はうなぎ登りに増え続け、昭和30年代半ばにピークに達した。おびただしい本数の映画が作られた。戦後から続いた日本映画の黄金時代は、数々の名作、ヒット作を生み、スターを誕生させた。

銀幕に没入した観客は、巨匠や名匠がスターに託したメッセージに素直に共感し、明日への指標にした。映画は圧倒的な影響力を持つメディアだった。

いまあらためて「昭和」の名作を見ると、そのつど日本人が抱いていた希望、気づいた課題がよく見えてくる。

この本で取り上げたのは、昭和の日本映画を代表するスター女優たちだ。名作で彼女らが演じたヒロインは、いま日本人が失いそうになっているものを持っている。やさしさ、たくましさ、ひたむきさ、健気さ、強さ、そして美しさ。

もっとも先輩の田中絹代から、原節子、京マチ子、淡島千景、岸憲子、浅丘ルリ子、岩下志麻、倍賞千恵子、そして吉永小百合。その代表作を中心に、彼女らが演じた役と女優人生をたどれば、「昭和」がいきいきと再現されるようだ。そして、混迷から抜け出すヒントを与えてくれるような気がする。

なぜ「昭和」にはあれほど熱気があったのか。彼女たちの軌跡を追ううちに、それがかすかに見えてくるようだ。

日本映画の黄金時代から活躍し、その後の日本を静かに見続けてきた女優、香川京子のインタビューとともに、スター女優たちの「昭和」のメッセージをあらためて受け止めてほしい。

( ここでは「第8章 吉永小百合 優等生への抵抗」の後半部分から内容の一部を抜粋してご紹介します。 WEB編集担当 )

 

「サユリスト」が求めたもの

『キューポラのある街』で吉永小百合は演技派スターのスタートラインについたはずである。だが、その後の道程は、演技派への本人の願いとは乖離して、どこまでもスターとしての看板が優先されたものだった。

昭和38年には『青い山脈』『伊豆の踊子』と、かつて原節子、田中絹代が演じた国民的なヒット作のリメークに主演、トップスターとしての地位は揺るぎないものになる。ところが、彼女は決して作品の出来に満足していなかった。

『伊豆の踊子』に関して、こんなエピソードがある。川端康成の原作を愛読していた吉永は、小説の中にあった踊子の「いい人はいいね」という台詞がことに好きだった。映画の脚本では、その台詞が割愛されていた。がっかりした彼女は、原作者の川端に会って、その不満を漏らした。また、原作にはないドライな現代娘の役を二役で演じる設定にも不満だった。結局、その願いは聞き入れられず、映画は完成した。作品に打ち込むひたむきさからくる願いが届かない。そんなもどかしさを募らせながら、会社の求め、社会の求めに応じることに妥協せざるを得ない。アンビバレンツが大きくなっていった。

こんな役をしてみたいと望んだ企画も叶わなかった。たとえば、彼女の希望で脚本まで完成しながら映画化が見送られた作品に、三浦哲郎の芥川賞受賞小説『忍ぶ川』がある。薄幸な娘が大学生と結ばれ、幻想的な雪国の風景の中で美しい初夜を迎える『忍ぶ川』。ヒロイン志乃は、清純な吉永のイメージにはぴったりだ。しかし、明るい青春路線とは違う暗さが底に流れる物語である。結局、企画は実現しなかった。

『忍ぶ川』は昭和47年、熊井啓監督の手で映画化される。志乃を演じたのは栗原小巻。この映画は栗原の代表作になった。「サユリスト」「コマキスト」と一時期、人気を二分した2人の女優の不思議な因縁である。

「サユリスト」と呼ばれる熱心なファンには、2通りのタイプがいる。ひたすら「聖女」のような小百合を求めるファンと、どんな役柄に挑戦しても応援するタイプである。実際には前者が一般的な意味で「サユリスト」と言われる。会社もそんなタイプのファンの希望に応えることを優先させた。吉永小百合の長い、長い葛藤の根源は、そこから発しているように思える。

できあがった作品への失望は、さらに続いた。

昭和41年の『愛と死の記録』は、原爆症に苦しむ青年を愛した娘の苦悩の日々を描いた恋愛ドラマだ。昭和39年の大ヒット作『愛と死をみつめて』の2匹目のドジョウを狙ってこのタイトルがついた。愛し合う2人がはげしく抱き合うシーンが、広島の原爆ドームの下で撮影された。また、被曝者のケロイドも挿入された。ところが完成試写で吉永が見た画面には、原爆ドームもケロイドも映っていなかった。会社の指示でカットされたのだ。原爆をテーマにしているのに、なぜ原爆ドームやケロイドがだめなのか? 釈然としない気持ちで封切りの日を迎えた。

彼女の前に立ちはだかったのは会社だけではない。吉永事務所を作ってマネージメントを取り仕切った父が社会派嫌いだった。『あヽ野麦峠』というかつての女工哀史を描いた本を映画化しようとした際、ストライキの場面が多く描かれた脚本に、プロデューサー役の父が同意しなかった。巨匠を監督に据えるところまで話が進んでいたのに、ついに映画化は実現しなかった。

父親が娘を美しい「人形」のように愛し、マネージメントに関わったという点では、吉永小百合は浅丘ルリ子と共通している。しかも、入社したのが商業路線の日活だった点でも同じである。日活の商業路線で共演していた2人は、そんな似通った境遇について語り合ったことはなかったのだろうか。

 <中略>

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