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ロボットがペットになれば死別の悲しみは無くなる? 心肺停止とは違う「本当の終わり」

林要(GROOVE X 創業者・CEO)

2023年05月25日 公開

 

命の解像度は、ロボットによって上がっていく

話を戻します。いままでは、命の捉え方がとても大雑把だったとも言えるでしょう。「ぼくらの思い入れ」から「細胞の新陳代謝」までを丸ごと「命」と呼んでいました。

しかし、実際にそこに内包される言葉としては、生物学的な意味での「生命」を意味するものだったり、ソウル・メイトと呼ばれるような共感できる存在の持つ「魂(ソウル)」だったり、いろいろな意味が混ざって使われていました。

徐々にロボットがいることがあたりまえの社会が訪れ、人類にとってロボットが自然な存在となったとき、命に対する解像度は上がるのでしょう。

昔、命の終わりは「心肺の停止」を意味していました。しかし、医学の発展によって人工心臓ができて、心臓の停止が死を意味しなくなったことで、「どの時点で死んだとみなすのか」と議論がなされるようになりました。

「思い入れ」だからこそ、むずかしい問題です。

いままでも、これからも、つねにロボットは、子孫を残すことを宿命として背負った生命ではない存在だからこそ、「自分とはなにか」「命とはなにか」「幸せとはなにか」といった問いを、ぼくらに与えてくれる存在であり続けるのだと思います。

 

「人類とAIの対立」は古典になる

「AIやロボット」と「生命」の境界が本格的に曖昧になる時期を考えると、遅くとも2020年代に小学校へ入学した子どもたちが、大人になるころでしょう。

これからの子どもたちは「デジタルネイティブ」のさらに先、「AIネイティブ」あるいは「ロボットネイティブ」世代になります。

生まれたときからAIや自律性の高いロボットに囲まれている新しい世代に対して、その前の世代の人が「ロボットには生命がないから、リスペクトもできないし、いっしょに住む気にもならない」と主張したならば、どうなるでしょうか。

それは、その前の世代の人がさらに古い世代の人に「犬や猫は人間ではないから、リスペクトもできないし、いっしょに住む気にもならない」と言われているようなものです。その発言は「ロボット差別主義者」というレッテルを貼られる可能性すらあります。

これは、いまのダイバーシティ論争と同じ構造です。

幼いころからテクノロジーに触れて、学校や家庭でロボットと楽しく過ごしてきた子どもたちの目には、わたしたちが見ているものとはまったく異なる未来が広がっています。その未来では「人類とAIの対立」をテーマにした映画は、SFの主題として「古典」になっているかもしれません。

というのも、物語のなかに描かれる人類とAIの関係性を見て、ぼくはいつもこう思うのです。「ああ、これはかつて、肌の色、言語、思想...異なる価値観を持つ「人と人の対立」として描かれた物語の構造と同じだな」と。
生物か無生物かというちがいすらも、ダイバーシティの1つに過ぎなくなるのです。

 

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