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なぜパワハラを繰り返す? 加害者が吐露した「父親への敬意」

石井光太(作家)

2023年12月15日 公開

 

言葉を丁寧に使い分け、「粗い言葉の使い方」をやめる

カウンセリングの中で加害者がしばしばするのが、観念に囚われた物言いだという。世の中に観念として広まっていることを、自分の言葉ではなく、一般論として人に押しつけるのである。

たとえば、加害者が部下に対してパワハラをする際によく発する言葉として「~すべき」がある。「給料をもらっている以上は、額に見合った仕事をするべき」「男性がリーダーシップを取るべき」「経験豊富な上司が未熟な部下を教育すべき」などである。

家庭、企業、社会には、昔からつづく「~すべき」という観念があり、それに長く接していると、知らず知らずのうちに染みついて、当たり前のように言動に現われるようになる。

仮に本人の感覚や本音が別のところにあっても、観念に支配されすぎてそのことを自覚できない。だから、部下と接する中で、何の疑いもなく観念を押し付けるような指示や助言をする。では、これをされた部下はどう感じるだろうか。

おそらく誰もが学校の先生から同じようなことをされた経験があると思う。たとえば、教室で頭ごなしに「給食は全部食べなさい」とか「寄り道しないで帰りなさい」とか「みんなと仲良くしなさい」と言われたことがあるだろう。

この時、大抵の人は面白くない思いをしたはずだ。それは先生が生徒一人ひとりの事情や気持ちを汲み取り、自分自身で選んで発した言葉ではなく、学校にある観念をそのまま言葉にして押し付けてきたからだ。

職場で上司が観念を言葉にする時も同じだ。上司が部下のことを真摯に考え、自分で選んだ言葉で何かを言ってくれれば、多少の信頼感や安心感を抱き、聞く耳を持つだろう。しかし、上司が観念で物を言ってきたらそうではなくなる。一方的に観念を押しつけられたと受け取り、その言葉をパワハラと感じる。

岡田氏は次のように話す。

「人は観念の中で生きていると借り物の言葉でしか話せないようになります。逆に、その人の実感の中で生きていれば、自分の言葉で話せるようになる。

実感とは、上司が部下と向き合っている時に感じる空気感だとか、声のトーンだとか、細かな表情だとかいったことです。そういうものをトータルで感じ取ることができれば、今この人にはこういうふうに表現した方がいいということがわかります。

そういう人は、観念にしがみついて『君は~すべきだ』といった言い方はせず、諸事情を汲んだ上で『僕としては、今の君にこうしてほしい』といった表現をします。部下にとっても、そうした言い方をされれば、自分のことを真剣に考えてくれているのだと感じ、耳を傾けるでしょう。

パワハラをなくすためには、上司が実感の中で部下とかかわり、その時その時に適した表現をすることが必要なのです」

コミュニケーションは、生身の人間がその時々の肌感覚で自分なりの言葉を生み出して初めて成り立つものだ。

観念から生まれるのは、そうした細かなことを無視して吐き出される死んだ言葉だ。反対に、実感から生まれるのは、自分を主語にし、相手の立場を思いやって練られた生きた言葉である。だから、かならず「私は~」というIメッセージ(「私」を主語にした言い方)の形になる。

岡田氏が「実感」の重要性を強調するのはそのためだ。世の中にはパワハラとされる悪質な用語はたしかにある。だが、コミュニケーションとは人間関係を土台にして成り立つものであり、どの言葉なら良くてどの言葉ならダメかということではなく、実感の中で選んだ言葉を発することが大切なのだ。

このことは、部下の姿勢についてもいえる。上司がいくら実感の中で言葉を選んでも、部下が背を向けていれば意味がない。部下の方も襟を開いて上司と向き合い、同じ生きた言葉でコミュニケーションをすることが重要だ。

岡田氏は、本音のコミュニケーションには、言葉の正確な使い分けが不可欠だという。彼女の言葉である。

「対人関係におけるコミュニケーションでは双方向性を考慮しなければなりません。相手がどのような立場の人か、どのような状況にあるのか、相手が受け取れるように丁寧に言葉を選ばなければなりません。

また、コミュニケーションの目的は相手の思考や感情、言動に影響を与えることです。ところが自分の言いたいことだけを言って、何のために言うのかを忘れている人がいます。

例えば上司が部下に『何度言ったらわかるんだ』と言うとき、これは『もう、いやだ』という上司の気持ちを吐き出しているだけです。部下は『お前はだめだ』と言われているようにしか思えず、行動を変えるというより、いやな気持ちになってしまうことの方が多いでしょう。これでは本来の目的を達成したことにはなりません」

 

パワハラは本人だけの責任か?――環境や社会構造が与える影響

表現が大雑把であればあるほど、相手には細かなことが伝わりにくいし、誤解が起きるリスクも高まる。

一例を示せば、上司が困っている部下のことを慮って、「大丈夫か?」と声をかけたとする。だが、この言葉の意味は意外に広く、いろんな誤解が生まれる危険がある。

部下によってはこれを「おいおい、大丈夫かよ。周りに迷惑だけはかけるなよ」という嫌味の意味で受け取ることもあれば、「無理なら無理でさっさと引っ込んでくれ。邪魔なんだ」という排除の意味で受け取ることもある。

コミュニケーションは人間関係がベースとなって成り立つものだが、それがあるからといってすべてが担保されるわけではない。正確な意思の疎通を望むなら、上司は大雑把な表現ではなく、できる限り細かな表現をしなければならない。それは日頃から意識して取り組んでいなければできないことだ。

このように考えてみると、パワハラはかならずしも加害者の粗暴な人間性によってのみ引き起こされるものではないことがわかるだろう。企業のプレッシャーや古い観念の中で、上司が感情を爆発させた時、巷にあふれる死んだ言葉を手あたり次第に引っ張り出してくることによって引き起こされるものなのだ。岡田氏は言う。

「企業で起きているパワハラは、社員個人に起因する問題だけではないのです。社会や企業の中の価値観、ルール、人間関係などいろいろなことが影響して起きています。

環境の変化が少ない時代には、これまでの価値観やルールを強制することが効率的で成果を上げるために有効な手段だったかもしれません。

しかし、今の時代、企業はイノベーションを起こさなければ生き残れません。そうしたイノベーティブな環境をつくるには、過去のやり方にこだわっていてはうまくいきません。少し外れた考えや行動、ちょっとした失敗を許容していく必要があります。

部下に対して『間違いはないか?』という相手の行動を管理するような問いではなく、『何か面白いことはあるか?』など、可能性を引き出す問いを発していくことで、一人ひとりの個性を尊重し、能力の発揮を促さなければなりません。そのために適切な言葉を選ぶ必要があります」

パワハラを正当化する人は、かならず精神論を持ち出してくる。だが、岡田氏の指摘する通り、今はみんなが画一的に同じことをやって成功をつかめる時代ではなく、一人ひとりが古い観念から離れ、自由に物事を考えなければイノベーションは起こせなくなっている。

そのために必要なのが、一人ひとりが自ら考え、選び、表現する生きた言葉なのだ。円滑な人間関係も、新しい発想も、上司と部下の生きた言葉の中でしか生み出されないのである。

 

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