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生き方

高齢者専門の精神科医が説く「今、がまんすれば歳をとって楽できる」の信憑性

和田秀樹(精神科医)

2024年07月05日 公開

高齢者専門の精神科医が説く「今、がまんすれば歳をとって楽できる」の信憑性

私たちは社会の規範や常識に適応するために、「偽りの自分」を演じて生きていることがあります。しかし歳を重ねて「後悔のない人生」を歩みたいと思った時、どのような生き方をしたら良いのでしょうか。精神科医の和田秀樹さんによる書籍『本当の人生』(PHP研究所)より、「今を楽しんで生きる」重要性について紹介します。

※本稿は、和田秀樹著『本当の人生』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「今がまんする」のではなく、「今を楽しむ」

人間というのは、産まれてきたときは、「本当の自己」、本当の自分として産まれてくるわけですが、そのうちに社会に適応していくためにさまざまな教育を受けたり、しつけを受けたりするうちに、「偽りの自己」が身に付いてくるものです。

もちろん、人によって社会への適応の仕方は違うでしょうし、受ける教育も異なるでしょうが、ある文化をもった社会では、その社会特有のルールや慣習に従うことができるように家庭でしつけというものを受け、おおむね社会の「常識」を身に付けることになります。

この「常識」は通常、本能的な欲望と一致しないので、「常識」が身に付くということは、「偽りの自己」として生きていくことができるということにもなります。

この中で重要なものに「がまん」というものがあります。ほしいものがあるからといって、勝手に持っていってはいけないとか、腹が立って殴ってやりたくても殴ってはいけないとか、好きな人がいても勝手に抱きついてはいけないとか、身体をさわってはいけないとか、さまざまながまんを子どもは身に付けていきます。

もちろん、本稿で、いくら本当の自分に戻ろうと提言しているからといって、この手のがまんを一切やめてしまうと、場合によっては法に触れるし、その結果刑務所に入ることにもなり得ます。法に触れなくても、一定のがまんができなければ、社会生活はできません。ただ、そうでないようながまんはなるべくしなくていいというのが私の真意です。

さて、しつけに際して、がまんをさせるときに、子どもには、今がまんすると後でいいことがあることを学習させます。

スタンフォード大学で行われたマシュマロ実験というものがあります。4歳の子どもを座らせて、マシュマロが一個のっている皿を目の前に置きます。

「このマシュマロをあなたにあげるよ。私は15分間、出かけるけど、戻ってくるまで食べるのをがまんしていたら、マシュマロをもう1つあげる。私がいない間にそれを食べたら2つ目はなしだよ」と言って実験者は出ていきます。

この実験に参加した子どもが大学受験をした際に、アメリカの大学進学適性試験(SAT)の点数で、がまんできた子と食べてしまった子では、トータル・スコアで平均210点(800点満点です)も差があったということです。

がまんできた子のほうが上です。この実験の結果、IQより自制心の強さのほうが将来の学業の成功に影響するという結論が出されました。その後の追跡調査でもこの傾向がずっと続くこともわかりました。

つまり、小さい子ども時代に、今がまんすれば、後でいいことがあるということが体得できた子は、一生涯にわたって優等生、優秀な社員でいられるということです。

さて、精神医学の世界では、依存症というのは、人間ががまんできるようにプログラムされてきた脳のソフトが破壊される病気だと考える人がいます。

今度、また手を出せば実刑になるのに、また覚せい剤に手を出してしまう。二度とやらないと約束して、家族や会社に金を借り、その返済を許してもらったのに、またギャンブルに手を出してしまう。職場でアルコールを隠れ飲みしてしまう。職場で仕事中にスマホをちら見してしまう。こういう状態が依存症です。

これらはすべて、がまんできなくなった状態、と精神医学では理解されます。これは意志が弱いのでなくて、脳のソフトが書き換えられたからで、きちんとした治療を受けないと意志の力では治らない、と考えられているのです。

逆に、そのような病的状態でなければ、意志の力でがまんできるのが当たり前というのが、日本に限らず世界中で適用されている考え方です。教育やしつけの大事な側面は、人間にがまんを覚えさせることでもあるのです。

実際、今がまんすれば後でいいことがあるというのは、いろいろな場面で適用されます。今、遊びたいのをがまんして勉強していれば、大人になってからいい思いができるので、学生時代は勉強しなさいというのは、常套句のようなものです。

そして、日本の企業で終身雇用・年功序列が当たり前だった時代は、若い頃、安い給料でものすごく働かされても、「今、がまんすれば、歳をとってから楽ができるから」と言われた人も多いでしょう。

これに関しては、終身雇用や年功序列の制度が否定されるとものの見事に、当時の上の人に言われたことは反故にされたわけですが、それでも、今がまんすれば後でいいことがあると信じている日本人は多いようです。

あるいは、健康診断で血圧や血糖値が高いと、塩分やお酒や甘いものを控えるように医師に指導されるわけですが、「今、がまんしていれば、歳をとってから健康でいられる」などと言われた人も少なくないでしょう。

人目を気にしてしまうということとともに、がまんが美徳であるとか、がまんしていると後でいいことがあるという信念は、本当の人生を生きるうえで、大きな阻害要因になると私は考えています。そこから脱却して、「今を生きる」「今を楽しむ」ということが本稿のテーマです。

 

歳をとると、後にとっておく意味がなくなる

私自身、受験産業、教育産業に身をおいてきたこともあって、今がまんしていれば後でいいことがあるという考え方そのものを否定したいとは思っていません。ただ、多くの高齢者を見てきた人間としては、ある程度、歳をとったら、その考え方は変えたほうがよさそうな気がします。

たまたま、とある実業家の人と対談したのですが、その方のお姉さんは学校の教員をしていて、老後のためということで倹約を重ねて1億円くらい貯めたというのです。それなのに60歳やそこらでがんで死んでしまった。すごく無念だっただろうと彼は語り、自分も死ぬまでにどんな風にお金を使い切ろうかを考えるようになったというのです。

縁起でもない話ですが、確かに、歳をとるということは、毎日死ぬ確率が上がっていくことでもあります。残念ながら70歳で翌年までに死ぬ確率は、60歳で翌年までに死ぬ確率よりかなり高いのです。これは死ぬ確率だけでなく、要介護になる確率も認知症になる確率も歳をとるほど上がっていきます。

海外旅行に行こうと思って、今、お金のことを考えてもったいないなと、がまんしていたら、数年後には死んだり、要介護になったり、認知症になったりして行けなくなってしまうということは、そんなに珍しい話ではないのです。

歳をとるほど味覚も衰えてくるし、それ以上に、食事の量が食べられなくなって、せっかく三つ星のレストランの予約が取れても、それをちゃんと楽しめなくなることもあります。

実は、私もそれなりに美食にお金をかけ、ワインラバーのつもりなのですが、60歳を越えた頃から、胃が小さくなっている気がしますし、お酒も毎日飲んでいるのに、徐々に弱くなっています。いつまで美食を続けられるのかとか、いいワインをせっかく手に入れてもいつまで飲めるのかなどと不安に思うようになってきました。

高いワインだと、もったいないからとっておきたい気持ちは強いわけですが、今がまんするより、楽しめるときに楽しまなくてはいけないという気持ちが徐々に芽生えてきました。

このようにお金を使うのをがまんしていたら後で楽しめるとか、今頑張って貯金をしていたら後でいいことがあるというのが、だんだん成り立たなくなっていくので、しつけで身に付いたことから徐々に脱却して、今を楽しむ本当の自分になろうというのは、実は健康面でも当てはまるように思います。

日本のように多くの人ががんで死ぬ国では、がまんをして免疫力を下げるより、好きなように生きて免疫力を上げるほうが、結果的に健康にもいいし、寿命も延ばす可能性が高いと思います。

血糖値を下げるために食べたいものをがまんするとか、コレステロール値を下げるために肉類をがまんすることが、どれだけ意味があるかはわかりません。

血糖値やコレステロール値が高いことで腎臓が悪くなったり、心筋梗塞になったりするかもしれませんが、それはずっと先の話なので歳をとるほど意味がなくなります。逆にがまんしないこと、栄養状態がいいことでがんになるリスクを減らせるとしたら、10年後の死亡率はどちらが高いかわかりません。

歳をとるということは、今がまんすれば、後でいいことがあるという話の中で、その「後で」がいつになるかわからないし、あまり期待できないということです。ここでも、高齢者は若者や普通の大人たちとは違うことを強調したいと思います。

 

著者紹介

和田秀樹(わだ・ひでき)

精神科医

1960年、大阪市生まれ。東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カールメニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、立命館大学生命科学部特任教授、川崎幸病院精神科顧問、一橋大学経済学部非常勤講師、和田秀樹こころと体のクリニック(アンチエイジングとエグゼクティブカウンセリングに特化したクリニック)院長。著書に、『医学部にとにかく受かるための「要領」がわかる本』(PHP研究所)、『老いの品格』『頭がいい人、悪い人の健康法』(以上、PHP新書)、『50歳からの「脳のトリセツ」』(PHPビジネス新書)、『感情的にならない本』『[新版]「がまん」するから老化する』(以上、PHP文庫)、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『80歳の壁』(幻冬舎新書)、『自分は自分 人は人』(知的生きかた文庫)など多数。

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