
30年間に渡り、ホスピス病棟(治療が難しいと診断された末期がんの患者さんを専門に関わる病棟)で働く小澤竹俊さんは、4000人以上の患者さんとのお別れを経験され、「たとえどんな人生であったとしても、人は幸せになれる」ということを学んだといいます。
本稿では、仕事一筋で生きてこられた50代銀行員の方のお話を伺います。
※本稿は、小澤竹俊著『だから、あなたも幸せになれる』(大和出版)を一部抜粋・編集したものです。
ただ生きているだけは幸せなの?
私が担当した50 代のお父さんは、金融関係の仕事をしていました。
高校を卒業して銀行に入行したその人は、大学を卒業した同期の仲間には負けたくない思いがありました。
他の仲間よりも少しでも良い成績を収めたいと、朝早くから夜遅くまで働き通し。家族をかえりみず、週末も接待ゴルフや、営業の仕事に出かけて、家族と行動を共にすることはありませんでした。
仕事の業績はいつも上位、やがて同期入社の仲間の中で、一番早くに支店長になりました。そんな何もかも順調に見えたある日、肺がんが見つかりました。
その日から生活が一変しましたが、元気になって、仕事に戻りたいと願いました。最善の治療を続け、副作用の強い抗がん剤にも耐えてきました。
しかし、どれほど最善の治療を受けても、肺がんは快復することはありませんでした。
これ以上の治療は、かえっていのちを縮めるとの判断で、以前私が務めていたホスピス病棟(積極的な治療が困難と診断されたがん患者さんと家族のケアを行う病棟)に入院してきました。
はじめて本人に会ったとき、もう私にはやることはない、人生のすべてを失ってしまった、と嘆いていました。
絶望感から、表情は硬く、言葉数は多くありません。
しかし、「私は何のために生まれてきたのだろう?」
その一言から、新しい人生がはじまりました。
私は本人に生い立ちをうかがいました。
すると、昔を思い出すように語り出してくれました。小さいとき、家庭が貧しくて、教育費を準備することができずに大学進学をあきらめたこと。
大学卒の同期の仲間よりも出世したくて、いっぱい働いたこと。その当時に考えていた幸せとは、お金を稼ぎ、社会的な地位が高く、一軒家に住み、自家用車を持つことでした。
仲間との出世競争に勝ち、高価な持ち物を持つことが幸せと考えていました。
ところが、肺がんの末期と診断され、残された時間が短いことを知ったとき、今まで幸せであると信じていた世界観がまったく通じないことに気づきました。
どれほどお金を稼いでいたとしても、どれほど社会的な地位を得たとしても、本当の幸せではありませんでした。
たとえ自宅があり、自家用車があり、高価な持ち物を持っていたとしても、うれしいとは思えませんでした。
いったい自分の人生は、何であったのだろうと頭を抱えたとき、見えてきたことがありました。
それは抗がん剤の治療の副作用でつらかったとき。そのとき家族の存在がとてもうれしく感じたことを思い出したそうです。
元気なときには、自分には家族なんていらないとまで思っていました。
しかし、薬の副作用で食欲がすっかりなくなり、食事に困っていたとき、奥様が作ってくれたお粥がとても口に優しく、気持ちが楽になったことを思い出しました。
ソファで横になって休んでいたとき、喧嘩ばかりしていた娘が、そっと毛布をかけてくれたことがうれしくて、心があたたかくなりました。
こんなに家族が、あたたかい存在に思えたことはありませんでした。
あたたかいと気づいた存在は家族だけではありません。
仕事を休んでいたとき、会社の後輩達から届いた手紙のメッセージがうれしく、気づくと自然と涙があふれていました。
今まで、本人にとって会社の人事評価は、数字がすべて。どれほど心があたたかくても、数字を伴わなければ会社には必要がないと信じてきました。
しかし、いざ自分が、仕事のできない人間になったとき、自分の存在を認めることができませんでした。会社の後輩達のあたたかな言葉は、会社にとって役に立たなくなった自分の存在を認めてくれる思いになりました。
これほど他の誰かの優しさに気づいたことはなく、何気ない誰かからの気づかいがうれしくなりました。食事を運んでくれる看護助手の一声があたたかく感じます。痛みが強くなったときに薬を届けてくれる看護師の存在が心強く感じました。
そして、ある日から手紙を書くようになりました。
この病気を通して大切なことに気づいたことを、会社の後輩達に伝えたいと願うようになったからです。銀行にとって、一番大切なことは信頼であること。どれほど仕事上の数字が良くても、信頼を失うような営業や取引を行ってはいけないこと。
たとえ、短期の視点では利益が少なかったとしても、銀行の役割は社会にとって血液であり、生活を守る役割として責務を果たしてほしいことを何十通も書くようになりました。
家族への言葉も変わっていきました。奥様や娘さんへの感謝の気持ちであふれていきました。日に日に身体は弱っていきましたが、目は逆にきらきらと輝いていきました。
そして、静かに人生を閉じていきました。
私は、ただ長生きするだけが幸せとは思っていません。
たとえ生きている時間が他人より短かったとしても、自分の生きている意味を見つけた人は、幸せな人生を送ることができます。
あなたは、生きている意味を意識したことはありますか?
普段は考えることはほとんどないかもしれません。
しかし、苦しいときは、生きている意味を知るきっかけになります。
この機会にあなたの生きている意味を考えてみませんか?
きっとそれがあなたにとって幸せに気づく機会となります。