戦前から大阪は野球が盛んでレベルが高く、さらに隣県で甲子園大会が開催されたりしたことも影響しているのか、野球界には大阪弁が蔓延している。
大阪弁の研究者が野球と大阪弁の深い関係を読み解く。
※本稿は、札埜和男著『大阪弁の深み』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。
「まいど」と叫ぶプロ野球選手
野球は大阪弁との結びつきが強い。
阪神以外に、かつて関西には阪急・南海・近鉄と球団も多かったが、それらの球団での標準語は大阪弁であった。南海に取材の申し込みをした記者が「まいど」と言われたというエピソードが残っている。大阪弁が幅を利かしていたため、福岡ソフトバンクホークスの前身である南海ホークスでは、東北訛りの抜けない山形県出身のエースだった皆川睦雄投手が、阪神では、「ダッペ」を多用する茨城県出身のエースであった井川慶投手が、無口になってしまった、というスポーツ記者の証言がある。同じ阪神で活躍した安藤統夫・和田豊といった監督経験者やホームラン打者で名を馳せた田淵幸一選手も変な大阪弁を使っていたという。
プロ野球選手には大阪出身者が多いせいか、大阪弁を積極的に使う選手も珍しくない。例えば日本ハムのエースとして活躍した岩本勉投手は、ヒーローインタビューの冒頭では必ずスタンドに向かって「まいどー」とを挙げて叫んでいた。大阪出身の岩本はファンへの感謝の気持ちを大阪の商人風に伝えていたのである。人気球団の巨人とかつて同じ本拠地(東京ドーム)であった日本ハムの選手は、人気薄の「パ・リーグの悲哀」を嫌というほど味わっていたのであり、それに対抗する意味での目立つための「大阪弁ストラテジー」であった。
「大阪弁ストラテジー」を駆使して人気のないチームを盛り上げたのが、阪急や日本ハムで指揮を執った故上田利治監督である。上田は阪急(現オリックス)の監督時代、「○○(選手名)はエエデ、エエデ」と連発して選手をマスコミに売り出そうとした。同じ在阪球団の阪神に比してマスコミへの採り上げられ方が少ないのを憂えての、大阪弁ストラテジーであった。
アウトは「アカン」⁉
戦前から大阪は野球が盛んでレベルが高く、さらに隣県で甲子園大会が開催されたり、野球の人気や実力では大阪が他の地域より抜きん出ていたことも影響しているのか、野球界には大阪弁が共通語化したことばが幾つかある。「ど真ん中」、「しょんべんカーブ」、「ポテンヒット」、「どん尻(けつ)」、「放る」、「しばく」などである。
中でも「ど真ん中」は共通語化した大阪弁野球用語の「エース」であろう。在阪テレビ局で長年活躍した、東京出身の或るアナウンサーによると、東京では耳にしたことはあった程度で、1950年代に大阪に来てから、当時南海ホークスの監督だった鶴岡一人さんからよく聞いた大阪弁だという。
「ど」は否定的な、罵倒する意を持った大阪弁だが「ど真ん中への失投」、「ど真ん中のボールを見逃し」といった表現のように、野球の観点からいえばどちらかというと非難することばとして「真ん中」に「ど」が付けられたことが考えられる。
戦時中の話になるが、敵性語として軍部が英語の使用を禁止したため、戦時中アウトのことを「ヒケ」と言ったが、審判員の間から発音が難しく選手にわかりにくいという事情から、一時「アカン」が用いられた。しかし塁上のクロスプレーの判定に「アッカーン」と言われると全身の力が抜けるとの声が選手の間で起こり、再び「ヒケ」に戻された経緯がある(玉木正之1990『プロ野球大事典』新潮社参照)。
大阪でいう「ポテンヒット」を首都圏では「カンチャン」というが、同じ関西圏でも地域によって使う野球用語が異なる場合がある。京都の丹後地域では「後ろ」のことを「ウラ」と言う。そのため大きな飛球を追う仲間の選手に周囲が叫ぶことばは、京都市内の高等学校で使う「バック、 バック、 バック」ではなく「ウラ、ウラ、ウラ」になる。地域による方言の相違は試合中の野次においてより明らかとなる。京都市内の高等学校と神戸市内の高等学校が対戦すると、互いに「投げはる」、「打っとう」は違和感を持って聞こえることばとなる。いずれも筆者が高校野球の監督を5年間務めていた時のエピソードである。
魔法の言葉「ぼちぼちいこか」
大阪弁がチーム内での標準語であることはいうまでもないが、時には大阪弁がチームに活力を与えることも起きる。1990年第72回夏の甲子園大会では奈良県代表の天理高等学校が逆転に次ぐ逆転で優勝に輝いた。当時の橋本武徳監督が「ぼちぼち行こか」とベンチでつぶやくと急に選手たちが打ち始めたという。「ぼちぼち」がマジックのような大阪弁と化したのである。
関西のスポーツ報道では大阪弁は効果的に使われている。阪急で「盗塁王」として通算盗塁の日本記録を打ちたてた大阪出身の福本豊氏の実況解説は、大阪弁がオノマトペとともにふんだんに使われ(例えば「指にはそんだんちゃいますか」など)好評を博していた。関西のスポーツ紙の見出しや本文にも大阪弁は積極的に使われている。例えば「なんでや‼ 4点差逆転負け」(日刊スポーツ2015年6月1日付)、「和田これでいいんか」(日刊スポーツ2015年6月4日付)などである。近鉄の「いてまえ(やってしまえ)打線」などはマスコミによるわかりやすくてインパクトのあるネーミングであろう。
一方で、マスコミ報道で大阪弁がセンセーショナルにクローズアップされる場合もある。阪神のエース・江本孟紀投手の「ベンチがアホやから野球でけへん」は、問題視され、その大阪弁が原因で引退に追い込まれた事件は、今も語り草である。
マスコミによりつくられた大阪弁に最も悩まされたのは西武・巨人・オリックスで活躍した清原和博選手であろう。清原のコメントは必ず主語が「ワシ」になった。「『ボク』と言っても『ワシ』と表記される」と、報道陣に抗議したことがあった。年下の記者による囲み取材では「俺」と言ったようだが、年上の記者にはそういったことばを使わず、使い分けていたと、取材していた記者は述べている。「ワシ」は清原選手にとってマスコミに与えられた迷惑な「大阪弁」であったといえよう。
「しばく」をドジャース内で広めた野茂
大阪弁は関西圏以外にも「流出」している。大阪の中学球児は積極的に他府県の高等学校に野球留学するため、大阪から遠く離れた高等学校で大阪弁が共通語化しているケースがある。スポーツ記者によると、東北、北陸、山陰の野球強豪校には、大阪弁が主流になっているところもあるという。
さらに大阪弁は関西で育ったプロ野球選手の大リーグ流出により海外へも「進出」している。海を渡った先駆者である近鉄の元エース・野茂英雄がドジャースにいた頃、「しばく」という大阪弁がチームメートにも広まったということである。
また大阪・寝屋川市出身で巨人やレッドソックスなどで活躍した上原浩治投手はアメリカでも大阪弁を使っていた。以前メッツに在籍し、西武の監督も務めた松井稼頭央は、大阪の名門・PL学園出身だが、やはり同僚に大阪弁を教えていたという。多くの日本人選手が大リーグで活躍する時代になったが、岩手出身の大谷翔平選手や菊池雄星投手が岩手の方言を使い続けたり、チームメイトに広まったという話は耳にしない。
野球における大阪弁の国際化は、海外だけではなく「内なる国際化」も進む。在阪球団に縁のある外国人選手の大阪弁使用である。
阪急ブレーブスの内野手であったロベルト・バルボンはコーチを経て阪急や近鉄の通訳となったが、ホームラン打者として阪急で活躍した外国人選手・ブーマーが三冠王を獲った時、「今どういう気分ですか」と訊いた報道陣に「ごっつうええ気分や、ゆうとるで」と訳し、報道陣を爆笑の渦に巻き込んだ。
神戸出身の妻を持つバルボンは短くまとめた関西弁訳が特徴だった。初代楽天のゼネラル・マネージャーを務めたマーティー・キーナートは神戸で覚えたであろう大阪弁で、顔を合わせる人に「まいど!」と微笑んでいたという。
大阪弁を使ったインタビューは阪神の外国勢に引き継がれている。現役時代「甲子園球場に駐車場はおまへん」のキャッチコピーでCMにも出ていたトーマス・オマリー選手は、グラウンドでも「阪神ファン、最高や!」と叫んだ。マット・マートン選手も「ああ、しんど」「まいどおおきに」と大阪弁を使い、ファンを沸かした。
「今年、アレやから、アレいくで」
2023年は阪神タイガースの日本一に沸いた大阪であるが、優勝に導いた前監督の岡田彰布氏は生粋の大阪人である。大阪市内で小中学校時代を過ごし、北陽高等学校(現関西大学北陽高等学校)、早稲田大学を経て阪神タイガースやオリックスで選手、監督などとして活躍した。
監督在任中、「アレ」や「オーン」といった「岡田語」が話題となった。「アレ」は以前から岡田監督と交流のあるマスコミ記者でないと、そのことばの意味をつかめないことばだったようである。「今年、アレやから、アレいくで」と言った岡田監督のことばを聞いた新人記者が先輩記者に「いったい、岡田監督、何を言ってはるんですか?」と聞き返したというエピソードがある。
中でも大阪弁の「そらそうよ」(共通語で言うならば「それはそうだよ」)も大阪人の心をつかんだ大阪弁である。「そらそうよ」は兵庫県警の詐欺防止のポスターに岡田監督のユニフォーム姿とともにキャッチコピーとなった。「そらそうよ」の大阪弁が詐欺防止につながったのは「そらそうよ」であったのであろう(か)。







