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可能性をつぶす? 「大人になって親の生活費を補填する子ども」に考えられる問題点

若山和樹(臨床心理士・公認心理師)

2025年08月29日 公開

可能性をつぶす? 「大人になって親の生活費を補填する子ども」に考えられる問題点

「自他境界」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

自他境界とは、「こころと身体の領域における、ここまでが自分の範囲で、そこから先が自分でないもの(他者)の範囲であることを示す境界線」を意味する言葉です。

自他境界がきちんと機能していると、私たちは人とのつながりのなかで「個人の幸福」と「健全な人間関係」を同時にかなえられます。

反対に、私たちが対人関係で何か苦しかったり、困ったりしたとき、そのほとんどで自分と他者の間の境界線に何らかの問題が生じていると考えることができます。

中でも、物理的にも心理的にも距離が近く境界線の問題が起こりやすいのが家族関係です。本記事では「過度な忖度(そんたく)」「役割の逆転」というふたつの問題について、自他境界の観点から公認心理師・臨床心理士の若山和樹氏が解説します。

※本稿は『振り回されるのはやめるって決めた 「わたし」を生きるための自他境界 』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。

 

親の意向を過剰に推し量る 過度な忖度

相手がはっきりと言葉にしていないとしても、感情や欲求を推し量り、それに基づいて行動することを「忖度」と言います。

相手の感情や欲求を察することは、対人関係を良好にするためには有効です。しかし、自他境界があいまいな関係においては、しばしば忖度しすぎてしまい、自分の判断で選択したり行動を起こすことが難しくなってしまうことがあります。

なぜなら、そこには相手に反してはいけないという(多くは無意識の)プレッシャーが存在するためです。
過度な忖度を続けていくと、そもそも相手が受け入れにくい思考や感情については、思いつかなくなってしまいます。

過度に忖度するようになると、ありとあらゆる選択のなかに「これを選んでも大丈夫だろうか?」という不安が入り込んでしまうことになります。

進路や就職のような大きな決断から、趣味や好きなテレビ番組、服や日用品の好みなどちょっとした選択まで、少しでも親と違う意見や考えを持ったりすると、自分が何かとてつもなく悪いことをしている気になってしまうのです。

たとえ親といえども他人ですから、違う意見を持って当然です。しかし、境界線の問題があると、自分の意見に全く自信が持てなかったり、親と違った考えを持つことに強い罪悪感を抱いたりしてしまうのです。

過度な忖度は、自分と相手の区別がつかなくなる関係のなかで生まれます。相手に「いや」というよりも、迎合してしまうほうが楽に思えてしまうからこそ、忖度するのです。

しかし、いくら対立を避けることができるとしても、これは一番優先すべき自分の意志や考えを後回しにするものです。

自分のニーズを優先できないと、もし誰かが本当の助けになるようなことを提案してくれたとしても、それを受け入れることができなくなってしまいます。

 

子どもの可能性を奪う 役割の逆転

親を大事にすることや、家族を助けること自体は、もちろん悪いことではありません。

しかし、これがあまりに行きすぎてしまうとき、その背後に境界線の問題が存在している可能性があります。つまり、本来その人が負うべき責任まで家族の誰かが代わりに引き受けたり、誰かが自分を犠牲にしてまで家族に尽くしてしまう場合です。

役割の逆転の具体例は、次のようなものが挙げられます。

・独立したあとも、自分の家庭より親の都合を最優先する
・親の家計や生活費の補填を子どもが続ける
・親の愚痴の聞き手となって、毎週のように何時間も電話をする
・一人の子どもに、高齢となった親の介護や世話が任される

自分の生活がきちんと成り立った上で、家族のサポートを行うことはもちろん問題ありません。しかし、境界線の問題が存在する場合、自分自身を後回しにしてまで家族の誰かを助けようとしてしまうのです。

子どもが大きくなるにつれて、親子の力関係は変化していきます。たしかに、子どもが幼いときは親は自分のことをある程度は後回しにして、子どもを助けていかなくてはなりません。そうした子どもも、通常は成長するにつれ親と同じくらいの力を身につけていきます。

しかし、親と子どもの役割が逆転し、子どもが自分を犠牲にしてまで親を助けることは必要ないのです。無理に親が子どもにそれを求めることは、境界線の侵害となってしまいます。

親子関係の逆転の背景には、しばしば子どものニーズを否定し、批判的な言動を浴びせるなどして、子どもの低い自己肯定感をつくり出す親の存在があります。

そうやって生じた子どもの空白に対して、親が「自らをケアする」という役割を子どもに与えることで、それを埋めさせようとするのです。

こうしたマッチポンプの構造が、子どもの力や可能性を奪うようなものであることは言うまでもありません。役割の逆転を起こすことなく家族を思いやるためにも、健全な自他境界は求められるのです。

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