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パリで「古事記」を歌った女子大学院生

2019年07月11日 公開

吉木誉絵(慶應義塾大学大学院生<当時>/神主)

 

アメリカでの「ショック療法」

現在、慶應義塾大学の大学院に通う私は、東京生まれ、東京育ちである。東京は神話に登場しない土地だが、父は島根出身なので、年に1回は家族で島根に帰り、必ず出雲大社を参拝していた。

島根周辺を舞台にした神話が古事記上巻を占める割合は約半分以上で、非常に重要な物語として位置づけられており、「八岐大蛇」「大国主の国譲り」などを絵本で読んで、幼心ながら出雲はすごい、と誇りに思っていた。

一方で、西洋への憧れも強かった。「日本みたいな小さい島には中学生までいればいい。高校からアメリカに行こう」と決めた私はカナダの国境の真下、ノースダコタ州のファーゴという町にある、キリスト教系の高校に留学した。

1年の大半が冬で、寒いときの体感温度はマイナス60度を下回る、過酷な場所だった。日本人の姿を見かけることはなく、高校3年生のときには学年でアジア人は私一人だけ。自分が日本代表のように感じたものである。

英語を話すことにずいぶん慣れたころでも、食事のときに「いただきます」という言葉が自然に出ていた。キリスト教のホストファミリーにある日「それはどういう意味?」と聞かれ、「食べることは生き物の命をいただくことだから、食べ物に対して感謝する言葉」と説明すると、アメリカでは食べ物を与えてくれた神には感謝しても、食べ物そのものへの感謝はない、と感動された。それ以降、彼らも食前の祈りのあと、「イタダキマス」といってから食べるようになった。

このとき、私は日本人とアメリカ人の価値観の違いの根本を感じた。アメリカ人は宇宙を創造した唯一絶対の神に対して祈り、日本人は自然1つひとつに宿る神に感謝する。同じ神でもアメリカと日本では、その観念が大きく違う。アメリカで過ごすなかで、私は日本の特殊性を思い知った。

ショック療法のように外から日本を知ったことで、今度は中から日本を見たくなったのだ。日本に戻り、日本にあるアメリカの大学へ進学した私は、比較文化学を基礎に日本の歴史文化を学びはじめた。

 

この国に足りないのは「神話」

「神」の概念が違うということは、日本とアメリカの抜本的な違いは「神話」にあるのではないか。勉強を進めていくうち、私はそう感じるようになった。そこで日本の神の物語が記されている古事記を読みたい、と思うようになったのだ。

学ぶにつれて、それまで当然のように行なっていた生活習慣や考え方など、日本人の気質が古事記に記されていることを発見し、大いに驚いた。

お風呂好きな性質や勤勉さ、箸やご飯茶碗などは自分の食器が決まっていること、話し合いで争い事を解決しようとする性格など、わざわざ意識していなくても外国人から必ず日本人の特徴として挙げられるそれらの気質は、古事記に神々の気質として起源が書かれていたのである。勉強すればするほど、古事記が無意識的に日本人のなかで、共通に存在している不思議な感覚を覚えたのだった。

もう1つ驚いたのは、古事記は神様の物語から始まり、人間の歴史へと内容を変え、いま私たちが生きている世界へとつながっていることだった。他国では、神話の世界は断絶し、その後、人間の歴史が新しくスタートする。

中国は易姓革命で王朝が次々と変わっている。アメリカ合衆国はキリスト教徒が建国したが、アメリカの歴史と聖書の内容は直結しない。

しかし私たちの国は、政治が朝廷のものから武家のものに移ったり、幕府が交代したり、政権の所在が変わっても、政治権力の源である権威を担う皇室が途切れたことは一度もない。神様と人間のあいだに血縁関係があり、日本人として生まれるだけで神の子孫とされる日本の神道的概念は他に類を見ない、とアメリカ人の教授は私に教えてくれた。

古事記が日本人の性質を表すように、神話はその国の民族性を如実に表す。神話とはその土地に住む人びと、もしくは伝承する民族の、道徳的規範を映す「社会の鏡」だ。ただのおとぎ話ではなく、「真実」の物語である。

自分のルーツが神話へつながるという発見は、私にとって青天の霹靂ともいえる大事件だった。まるでいままで見ていた景色がモノクロームであり、それが彩色豊かな景色へと変貌するかのような感覚を味わった。

景気回復の兆しもみえないなかで、私たちの世代も含めていまの日本人は自らのアイデンティティを見失っている。この国に足りないのは「神話」ではないか。私はそう直感した。

しかし、現代日本人の神話への認知度は低い。ならばまず、自分が古事記に伝わる精神を正しく伝える側になる必要がある。そこで私は神主の資格を取得し、神社に助勤させていただくようになった。

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