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生き方

パリで「古事記」を歌った女子大学院生

吉木誉絵(慶應義塾大学大学院生<当時>/神主)

2019年07月11日 公開 2019年07月12日 更新

 

六本木のクラブと古事記

しかし、それだけではなかなか多くの人たちに神話の魅力を伝えることができない。そして自分が感じた驚きや発見を同世代に伝え、共有したい。

さらに月日が経つにつれ、そう考えるようになった。そのためには組織が必要だ。そこでイベント運営を得意とする大学生たちに声をかけ、古事記を広めるプロジェクト「KOJIKI 1300 Project」が発足した。

手始めに、2012年2月11日の「建国記念の日」に、六本木のクラブラウンジで「KOJIKI 1300 Project Live」という若者向けの古事記イベントを主催した。古事記のイベントをクラブで行なうのはおかしな組み合わせに思えるかもしれない。

しかし、若者世代に古事記を伝えるには、それを「カッコいい」ものにする必要がある、と考えたのだ。貸し切ったクラブは13階建てのビルの最上階で、豪華なシャンデリアで彩られ、全面ガラス張りの窓からは六本木の夜景と東京タワーがよく見えた。

イベントを一緒に行なった大学生たちは古事記に詳しいわけではなかったので、主要運営メンバー20人を都内の大学のカフェに集めて勉強会を開催したりもした。私がその魅力を説明すると、古事記など一度も読んだことがなかった彼らが「面白い!」「いまの日本人にも通じるんだね」と、その世界にどんどん引き込まれていく。目の輝きが増した表情は、「古事記は若者に通じる」という希望になった。

当日は約1000人もの若者が集まり大成功に終わったこのイベントには、メインゲストとして東京都副知事(当時)の猪瀬直樹氏や、作家で明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏にお越しいただいた。

猪瀬氏は「日本の文学を真に理解するためには古事記を理解しなければならない」と、現代文学における古事記の必要性をお話しくださり、竹田氏はお勧めの古事記のシーンなど、若者にわかりやすいかたちでその魅力をお伝えくださった。

和楽器によるアンサンブルや武術パフォーマンス、古事記に出てくる妖艶な神様をモチーフにした女子大生によるダンスなど、若者による和をテーマにした演目も準備した。

 

人生、何が起こるかわからない

このイベントの参加者のなかに偶然、ジャパン・エキスポの関係者がいた。彼から「パリで行なわれるジャパン・エキスポに出演しませんか?」とお誘いを受けたのだ。

しかし、その道のりは簡単なものではなかった。ジャパン・エキスポに出場できるかどうかの最終審査結果発表が予想よりも遅く、出場の可否が5月下旬までわからなかったのだ。本番は7月だから、準備の時間がほぼなかったといっていい。

さらに渡航費を含めて出場に関するすべての経費をこちら側で負担しなければならないということを、出場が決定してから知らされた。すでに出演者やスタッフにはオファーをしていて、ステージの構成まで話が進んでいた段階である。

ディレクターからは見積もりで、12人分の渡航費と宿泊費、映像制作費、出演者とスタッフのギャランティーなどを含めると1000万円、最低でも500万円かかるといわれた。私からしたら、途方に暮れるような金額だ。

見よう見真似で企画書を作成し、インターネットで大手企業の広報部に連絡したり、伝手をたどって財団に協賛をお願いしたりしたが、なにせ本番まで2カ月。そんな突然に高額な協賛金を寄付してくれるところがあるはずもない――。

しかし、古事記の神様はジャパン・エキスポに出ることを応援してくださったようだ。なんと合計300万円もの金額を協賛してくださる方たちが現れた。暗い道を一筋の光が照らしてくれたようだった。

スタッフの方たちはほぼボランティアで協力してくださり、出演者も薄謝での出演を快諾してくださった。映像制作費も制作会社から無料で映像を貸していただいたため、ほとんどかからなかった。

プロジェクトの副代表である学習院大学のYさんと計画を練り直し、たくさんの方々のご協力と熱意により、1000万円かかるといわれたステージを300万円に収めることができた。

ちなみにディレクターは有名なテレビ番組を制作している方で、映像だけでなく顎足枕の手配や予算配分までアドバイスいただいた。振り付け、ダンサー、ヘアメイク、衣装デザインは某有名女性歌手のバックダンサーやスタッフの方々にお引き受けいただいた。

アメノウズメノ命の艶やかさを演出するため、ダンサーの肌に金箔をあしらったが、これは石川県の伝統技術を現代風にアレンジしたもので、ティファニーやシャネルなどのブランドとコラボレーションしている方にお願いできた。

私が歌い手としてステージに上がったきっかけは、古事記をテーマにしたポップ調の音楽があれば、もっとその楽しさが伝わるのではないかと思いついたことにある。懇意にさせていただいているアニメソングの作曲家に、楽曲提供をお願いできないかとダメ元で尋ねてみた。金額もそれなりに覚悟していたが「コンセプトが面白そうなので、お金の話は措いて、協力させていただきます」とおっしゃってくださった。

「雅楽の笙の音を入れてほしい」「1回聴いたら忘れられないメロディーにしてほしい」などイメージや希望を伝え、素晴らしく、和のテイストがありながら現代的で若者も聞きやすい、理想以上の曲に仕上げていただいた。

ほんとうならプロの歌手に歌ってもらえれば、若者がすぐ古事記に興味をもってくれるだろうと考えたが、「どうせなら自分でやってみたら」と作曲家の方におっしゃっていただき、時間もなかったため私が歌うこととなった。まさか私がジャパン・エキスポで、豪華なスタッフや出演者に支えられながら1万人以上の前で歌と踊りを披露できるなど思ってもみなかった。人生、何が起こるかわからないものである。

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