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なぜ「さみしさ」は強い怒りに変わるのか? 攻撃性のメカニズムと孤独感の癒し方

中野信子(脳科学者)

2026年05月01日 公開

なぜ「さみしさ」は強い怒りに変わるのか? 攻撃性のメカニズムと孤独感の癒し方

心を通わせたいと強く願うほど、イライラして怒りをぶつけてしまう――その衝動の裏には、「さみしさ」が隠れているのかもしれません。そんな「孤独感」はどうしたら癒されるのでしょうか。本記事では、怒りとさみしさの意外な関係を脳科学の視点からひも解き、SNSやオンライン相談など、身近に相談できる人がいなくても心を癒すことのできる、現代ならではの方法を探ります。

※本稿は、中野信子著『「さみしさ」に負けないための脳科学』(アスコム)より一部抜粋・編集したものです。

 

衝動が止められなくなり、自分で自分を追い詰める

一緒にいたいと思う人が忙しくて都合がつかない。それが長く続いてさみしくなる。
一緒にいるのだけれど、思いが通じないことが増えてきて、それが重なってさみしくなる。

そんなとき、さみしがりやの人ほど、相手を責めてしまいがちです。その結果、相手の心が離れていき、ますます孤独になってしまうという悪循環をもたらしてしまいかねません。
また、特定の人でなくても、誰かといたい、誰かに自分の気持ちを知ってもらいたいという思いがあり、それがかなわない場合にさみしさがつのっていく、ということもあります。

そんなさみしいという感情は、ときに、思いどおりにならない相手や社会に対する強い怒りへと変わることがあります。

さみしさによってストレスにさらされているときに脳内で起こっている現象のひとつとして考えられるのは、セロトニンの分泌が十分でないという可能性です。セロトニンには、「闘うホルモン」ともいわれるアドレナリンを抑える働きがあるのですが、セロトニンが十分に存在しないと、アドレナリンによって駆動される攻撃の仕組みがコントロールできず、本当に相手に対して攻撃的になってしまうということが想定されます。

愛している相手に対して攻撃を加えるというのは、冷静になって考えればあまりやりたくないはずのことでしょう。けれども、さみしさのあまりに、この衝動が止められなくなってしまうというのは悲劇的です。自分で自分をより苦しい方向に追い詰めるような行動を、なぜ人は断ち切ることができないのでしょうか。

思っている対象の人に会うことができれば、そのさみしさはたしかにそのときは癒やされるでしょう。しかし、どんな人が相手であったとしても、24時間ずっと一緒にいるわけにはいきません。離れなければならないときを迎えると、あるいはそれを想像するだけで、さみしさにつきものの心の痛みがよみがえってきて、また相手を攻撃してしまうということも起こってしまいます。

これでは、相手の存在はむしろあなたの心の痛みを助長する引き金になってしまっているようなものです。相手と一緒にいるときの心の安らぎや、心地よさが大きければ大きいほど、それを喪失する痛みは強くなり、耐え難いものになっていく。

あなたの痛みを癒やすのは、相手の存在ではない、ということに、本当はあなたも気づいているのではないでしょうか。相手よりも、もっと別のところに、あなたのさみしさを上手に扱うための機構を、求めていく必要があります。

それは、仕事に打ち込むことかもしれませんし、自分の価値をより感じられるように、注力できるなにかを探すことかもしれません。さみしい、という気持ちがどこから生まれてくるのか、わたしたちはなぜさみしさを感じるのか、ということをじっくりと1人の時間をとって考えたり、数多くの過去の人が同じようにさみしさに苦しんできたことから得た知見を学んでいくことであったりするかもしれません。

さみしさがあっても、充実した人生を送ることは十分に可能なことです。

また、 適度な距離感の友だちを持つことも、ときには大切なことでしょう。
人が必要とする友だちの数は、人それぞれに違います。性格も環境も異なりますし、たくさんの友だちとにぎやかなときを過ごしたい人もいれば、深く語り合える仲の友だちが1人いれば十分だという人もいます。

ただ、ここで「適度な距離感」と書いたことには理由があります。人間は距離が近くなれば相手の嫌な部分が目に入り、相手にも自分の嫌な部分が目に入り、良好な関係を持続していくのが難しくなっていくからです。

互いに、困ったときには打ち明けることができ、けれども依存的になることなく自立しているという関係をつくることができればとても理想的でしょう。
とはいえ、理想に縛られて窮屈さを感じるようであれば、それは本末転倒です。みっともない状態の自分で友だちを傷つけてしまった、ということがもしあったとしても、残念なことは残念なこととして、 受け止めていけるだけの心の弾力を持ちたいものです。

 

さみしいときの居場所として機能してきたもの

さみしさとは、本当に面倒な感情です。
そんなさみしさを癒やすものは、人とのつながりであり、気軽な話し相手や相談できる人の存在だと思います。 
たとえ身近に友だちがいなくても、まわりに気軽に話せる人がいなくても、自分が癒やしを求めて話せる人がどこかにいてくれさえすれば、だいぶ心は楽になります。

歴史的には、様々な共同体や職業が、そうした受け皿となって機能してきました。
村や町など地域の共同体や、長老や大家さん、町の世話役といった、友だちではないけれど、相談に乗ってくれたり話し相手になってくれたりするような人たちが、どこの村や町にもいた時代があります。
また、村や町で行われるお祭りや、自治会や青年会といった組織なども、人とのつながりを構築し、さみしさの受け皿となってきました。

その後、村や町の共同体の代わりにその役割を担ったのが、会社・企業といえるでしょう。
村落的なヒエラルキーと同様、ほとんどの日本の企業は年功序列制度を導入し、終身雇用で、企業年金もあり、むかしの村のように企業体が丸抱えで面倒を見るという体制があった時代には、会社に属することで大きな安心感を得られたと思います。
職場には 「やらなくてはいけないこと」「明確な役割」「肩書」があり、それさえ守っていれば認められ、居場所を与えられ、孤独になることもなかったといえます。

 

占い、カウンセリング、宗教もさみしさの受け皿

占いも、さみしさの受け皿を担ってきたものといえるでしょう。
自分の心のうちを語り、「わたしはこの先どうしたらいいのだろう?」という不安に答えてくれるのが、占いの存在でした。
突然襲ってくる不安やさみしさに対する「答え」を求めて、人々は古くから占いを頼ってきました。

一方、欧州では占いよりもカウンセラーに相談するのが一般的です。
カウンセラーは相談に乗るプロではありますが、お互いの相性もあるので、自分に合わない人もいます。ですから、いろいろなカウンセラーに会い、自分に合う人を探すのです。

また、彼ら彼女らは、心がつらくなってから通うのではなく、日常的に通います。常に話を聞いてもらえる場所をつくっておき、心のメンテナンスを行うというわけです。

日本でカウンセラーがなかなか普及していないのは、おそらく医療的なイメージが強過ぎるからではないでしょうか。
カウンセリングに通っている人は、周囲の人から「病気なのではないか」と疑われたり、なにか精神に問題を抱えているのではないかという目で見られたりしてしまうのかもしれません。

そして、宗教もさみしさの受け皿となってきたもののひとつです。
最近はネガティブなニュースでも取りざたされていますが、そもそもお寺の住職さんなどの宗教家に悩みを相談することは、古くからの日本の伝統でもありました。
故・瀬戸内寂聴さんのように、話をしてくれたり聞いてくれたりする存在が、あらゆるところに身近にいたのだと思います。

その後、宗教解体、共同体解体の時期に、代替物として現れたのが新宗教です。
伝統仏教とは一線を画する、19世紀末以降に現れた宗教団体や新宗教系の人々が、さみしい人々の声を聞くという役割を果たしたことで、一定の勢力にまで発展した歴史があったと思います。

 

さみしさが時代を動かしている

現在は、メディアもさみしさを癒やす役割を担っているといえるでしょう。
なんらかのコミュニティに属していなくても、例えばラジオ番組やWEBメディア、YouTubeなどにメッセージを投稿し、様々なことを相談することができます。匿名だから相談しやすいということもあるでしょう。
相談して誰かに話を聞いてもらうという行動により、さみしさを紛らわせることができます。

同じように、さみしさを共有したい人がネットのなかに集まり、自分の意見に近い意見を拾っていくことで癒やしを得ているようです。自分が抱えているモヤモヤに対して、明確に答えてくれるかのような人がいると、一躍ネット上の人気者になることもあります。
ネットという特性上、移り変わりが激しく新旧の交代が早いですが、この先もそうした傾向は続いていくはずです。

最近では、自宅にいながら全国の僧侶に悩みごとを相談できる、有料のオンライン僧侶クリニックなどもあります。
また、コロナ禍では人と会えないさみしさを、テレビやネット番組にはまることで発散させていたという人も多いでしょう。Netflixに代表されるサブスクリプションサービスがコロナ禍に会員数を大幅に増やしたのも、さみしい人が支えて、盛り上げていたのが1つの一因であるように思います。
そういった意味では、大変興味深いことに、さみしさが時代を動かしているといえるのかもしれません。

プロフィール

中野信子(なかの・のぶこ)

脳科学者

1975年、東京都生まれ。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。フランス国立研究所に博士研究員として勤務後、帰国。脳や心理学をテーマに研究や執筆の活動を精力的に行う。現在、東日本国際大学教授、京都芸術大学客員教授、森美術館理事。

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