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出口治明・スキルとしての教養~世界史を知る醍醐味とは?

出口治明(立命館アジア太平洋大学学長)

2014年08月06日 公開 2022年12月08日 更新

 

鎌倉幕府滅亡は「金融緩和」がきつかけ?

では、なぜ日本史ではなく「世界史」かといえば、グローバル時代となり日本と世界との関係が深くなったことが一因です。株価を予測するのに、外国人投資家の動向を無視しては予測がつかないことは明らかです。

そもそも日本は昔から、世界と密接に関わり合ってきました。一例を挙げましょう。一般に鎌倉幕府が滅びた原因の1つは、各地に悪党と呼ばれる新興勢力が現われ幕府を脅かしたからだ、と言われています。では、なぜ各地にそうした勢力が生まれたのか。そこには当時の中国の情勢が深く関わっています。

当時の中国は元朝(いまは「大元ウルス」という呼び名が一般的)の時代で、クビライ・ハーンという特筆すべき皇帝が現われます。彼はグローバルな貿易ネットワークの構築を目指して、自らの世界帝国に国際通貨である銀と紙幣を大量に流通させる政策を取りました。

その結果、もともと中国で使われていた銅銭が不要になりました。そこで中国の人たちは、「周辺諸国に銅銭を売ればいい」と考えた。つまり、鎌倉時代の日本に大量の銅銭が入ってきたのです。

これは現代で言うところの「金融緩和」に他なりません。中国からのマネーが日本中に供給されると、大金を手にする成金が現われ、それが「悪党」と呼ばれるようになったのです。有名な楠木正成もその1人です。

こうした成金にとって、土地を基盤とした鎌倉幕府はうっとうしい存在でした。だから悪党たちは後醍醐天皇と結び、討幕へと動いたわけです。クビライの貨幣政策が、日本に大きな影響を与えたのです。

もっと時代を遡れば、日本における文明発祥の地は北九州だというのが通説ですが、それは鉄鉱山のあった朝鮮半島南部に地理的に近かったからです。

他にも白村江の戦い、ポルトガルからの鉄砲伝来、ペリーの来航など、枚挙にいとまがありません。このようなつながりを知るためにも、「世界史の中で日本史を見る」という学び方が正しいのではないでしょうか。

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