予約が取れないレストラン「テツヤズ」の究極のサービス
2015年02月03日 公開 2015年02月03日 更新
《PHP新書『オーシャントラウトと塩昆布』より》
繁盛する店は全体のサービスがいい
私が初めてオーストラリアの地を踏んだのは、1982年、22歳のときだった。1年間、働きながら滞在できるワーキングホリデーを利用して、アディダスのスポーツバッグ1つで憧れの海外へ。お金もコネもなく言葉もできなかった私は、ギリシャ系の不動産屋さんに相談した。
「車に乗れ。働きながら英語も勉強できるところを紹介してやる」
そう言って連れていかれたシーフードレストランでは、シェフのデニー・ホワイトがいろいろ話しかけてくれた言葉がまったく聞き取れず、たった一言「Tomorrow, 9AM」という言葉だけが理解できた。その一言から私の料理人人生が始まった。
仕事は大量の皿を自動食洗機で次々と洗う重労働だった。皿を扱っていると、店の全体が見渡せる。スタッフの動きも見えて、その店がどう展開しているかが自然にわかってくる。150席の店だったので、忙しい時間帯にはあっという間に皿が洗い場に山積みになった。「この時間帯にはこの大きさの皿が多く必要になるから」と流れをつかみながら仕事を手際よくこなしていった。
朝食は出勤途中にあるハンバーガー屋さんのハンバーガー1個だった。当時の給料ではそれが精一杯。そのハンバーガーを2個食べることが、そのころの夢だった。英語が少しわかるようになると、店のスタッフたちから、どの店が今はやっているかという情報を仕入れ、食べ歩きをするようになった。
そのうちに気づいたのは、それほどおいしいわけではないのに、いつもお客で賑にぎわっている店があれば、逆に料理はおいしいのに繁盛していない店があることだった。同じ店に5回、6回と通っているうちに、最大の理由は「繁盛する店は全体のサービスがいい」ということだった。
レストランが成功するかどうかは、料理の出来だけではなく、全体のパッケージとしての満足度に左右されることを知った。
1年後、シェフのデニーからも勧められ、当時のオーストラリアでは本格的なフランス料理を作る唯一の店「キンセラーズ」で働くことになった。オーナーシェフのトニー・ビルソンのもとで古典的なフランス料理の技術を学び、その過程で数多くの新しい味を作るようになった。
ある日、オーナーから突然「3週間後に開かれる娘の結婚式のレセプション用に200人分の寿司を握ってほしい」と言われた。寿司作りの経験などまるでなかったが、シドニーの寿司屋に毎日食べに行って寿司の握り方を教えてもらった。
当時のオーストラリアには生魚を食べる習慣はほとんどなかったため、日本の寿司をそのまま出してもだめだろう。オーストラリアの食材を使って寿司のエッセンスだけを生かそうと、味のコンビネーションを必死で考えた。
シャリは型で抜いて細かく刻んだ酢漬けのレモンを混ぜて味を付けた。その上に、たたきにした仔牛の肉やタルタル風にしたマグロをのせる。表面が乾かないようオリーブオイルとマヨネーズを使って旨みを加えた。2日間寝ずに1人で500個を作った。「見た目が美しくて、おいしい」と大好評だった。
血尿が出るほどプレッシャーがかかった仕事だったが、みんなから笑顔と賞賛を贈られると、それまでの苦心や苦労がすべて喜びに変わった。
人に喜ばれることがそのまま自分の喜びとなる料理というものに私は魅了された。料理人の醍醐味を初めて味わってから、私はレシピを本格的にノートに取るようになった。
五感が満足する快適な場所でありたい
料理やワインが五感で味わうもののように、レストランはおいしい料理だけではなく、スタッフの接客、食器、盛り付け、インテリア、調度類……つまり五感すべてを満足させる快適さを総合芸術のようにして提供する場所ではないだろうか。
以前の料理店の構造を残したまま内装を全面改装する際に、1カ所だけ残したのは洋酒などを並べ置く木製のボトルラックだった。そこに洋酒の代わりに、小ぶりの陶磁器などの骨董、アートのコレクションを飾った。
専門家に頼む予算もなかったため、内装から名刺に至るまで、あらゆるデザインはすべて自分でやった。
私たちのレストラン入り口には象徴的な役割を果たしている銀色の金属のオブジェを飾っている。オーストラリア在住の彫刻家だった故牧川明生氏が1999年のクリスマスに贈ってくれた。生命力と成長を表す「水と種」をモチーフとした作品は、今も私のレストランを見守ってくれている。
シドニー在住の陶芸家の小路光男氏は、私のもっとも親しい友人の1人だ。小路氏が私たちのために作った皿の滋味深い色彩と質感が、レストランに落ち着きと奥行きを与えてくれている。
レストランの調度類で一番大切なのは椅子だ。コースをすべて味わえば、最低でも2時間半から3時間、座ることになる。
長時間座っても疲れないことを最優先にして、私はデンマークの家具メーカー、フリッツ・ハンセンの椅子を特注した。デザインはモダン様式の代表的デザイナー、アルネ・ヤコブセン。半世紀以上前にデザインされた椅子で、シンプルな形が気に入った。重ねることができるのでスペースを取らないという機能性にも優れている。
既成品は布張りのものしかなかったが、特注で特殊加工した革張りにしてもらった。革張りにこだわったのは、まず座り心地。そして使うにしたがって自然に形が収まり、色も変わって味わいが出る。60脚となると値は張ったが、自分の家を売って買った。
フリッツ・ハンセンとは、今もいい関係が続いている。いまだにこの椅子を超えるものに出合っていない。
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