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丹羽宇一郎が語る、人類と地球の大問題

丹羽宇一郎(元伊藤忠商事会長/元中華人民共和国特命全権大使)

2016年02月10日 公開 2023年01月12日 更新

 

弱肉強食の争奪戦

まだまだ先のことだと思っている50年後は、いざそのときが近づけば、時計の針が時を刻むように急速に押し寄せてくるよう感じるだろう。

ところが、私たちはさしたる根拠もなく、「自分の生きているあいだはどうにかなる」と考えて、これまでと同様の営みを続けている。みんなそのうち技術革新が起こって……というふうに思いなして思考を停止してしまう。

人間は自分の足もとをひたひたと水が浸さなければ、行動に移さない生き物である。危機が目前に迫って初めて、にわかに浮き足立つに違いない。

その理由は簡単で、悲惨な結果が目に見える可能性がある場合、人間はそこから目を逸らす傾向があるからである。人は苦しい状況を想像することを無意識に避けるのだ。

日本の財政問題を見ても明らかだろう。1,000兆円を超えて年々増加し続ける日本の債務残高は、対GDP比二百数十%と世界トップをひた走っている。日本は断崖絶壁に向かって進んでいるにもかかわらず、まだアクセルを踏んでいる。このままでは崖の下に真っ逆さまに落ちるのは誰が考えても明らかだ。ところが有効な解決方法が見当たらないため、そこから目を逸らさざるを得ない。

足もとを水が浸してから「助けてくれ」と叫んでも、もう遅い。「膝ひざまで来たぞ。どうにかしよう」と呼びかけても、膝まで水につかって、うまく身動きが取れない。どうにもしようがなくなったとき、さて人間はどうするか。

限界にまで達しなければ、何も起きないかといえば、そんなことはない。限界が来る以前から人間はパニックを起こす。1973年の第1次オイルショック時に、われ先にとトイレットペーパーを買い溜めした騒動を想い起こせばいい。2011年の東日本大震災後、首都圏のスーパーやコンビニの棚から生活必需品が消えた騒ぎでもいい。

私の持論は「パンはペンよりも強し」である。ほんとうに危機が到来したとき、人間は自らの思想や哲学よりも、食欲をはじめとする生き物としての欲望を満たそうとする。自分本位で他人のことなど考えない。まして地球の未来などは眼中に入らない。

生命に危険が及ぶ可能性があると思えば、生命線たる食料・水の争奪戦が起き、ジャングルの世界のように強者が弱者を駆逐する。社会においては結局、金持ちが貧しい者を追いやっていく。そのため大小強弱かたちはいろいろあるだろうが、人間同士が殺し合う修羅場が将来やってこないと誰が断言できるだろうか。

 

海図なき航海

人口が急激に減少する日本は大丈夫だなどと考えてはいけない。グローバリゼーションの進む世界で、日本人だけが生き延び、隣国では餓死者が続出するなどという事態は、あり得ない。

むしろ食料にしろ、エネルギーにしろ、海外からの輸入なしには生きていけない日本は、危機への耐性が最も低い国の一つといえる。その意味で、私たちには破滅を避けるために「地球村」という発想が、リアルに必要になってきている。さまざまな地球規模の問題の解決へ導く新たな世界共同体の形成である。

高まるリスクに、私たちはまともに向き合う時期だろう。頭でわかっているならば、そのリスクを見据える知的勇気をもつことだ。

とはいっても未来を予測する場合、私たちは悲観的に考えて、楽観的に行動しなければいけない。楽観的なデータをもとにシステムを構築した場合、下振れしたときには悲惨な結末を招いてしまう。最悪の事態を想定して、いま厳然とあるリスクに対応していくことである。

伊藤忠商事で私は長く農産物を専門に扱ってきた。穀物相場は長雨や干ばつ、日照不足、低温などといった天候に大きく左右される。

アメリカ駐在時代、穀物担当だった私は気象予測と日々対峙していた。毎年、収穫期には米国中西部の「ブレッドバスケット」と呼ばれる穀倉地帯をクルマで1週間かけて見て回り、自分の目で気象と農産物の実態を確かめた。

だから2014年にアメリカを襲った大寒波や、いまもカリフォルニアで続く大干ばつによる農作物被害が世界に与える影響には、自然と敏感にならざるを得ない。

ブラジルやインドネシアで農業生産事業を試みたこともあり、将来の食料危機の際に語られる農地開発や農業の移転が、言うほど簡単ではないことも身をもって知っている。

そして現在、世界の食料と水、環境、エネルギーの動向のカギを握る中国では、まず商社マンとして長年各地を歩いた。北京市や吉林省などの経済顧問を務めて情報収集にも努めた。

2010年から2年半務めた中国大使時代には、国境近くの僻地を含めて中国全土を歩き、食料事情、人口増加、環境汚染の実情をつぶさに見て回った。中央や地方の要人たちと農業政策や環境政策について意見を交換し、人口14億人を抱えるこの国が世界の経済動向だけでなく、地球の未来に与える影響の大きさを実感した。

そうした商社時代、大使時代の体験は、私が地球の将来を考えるきっかけとなり、また人類の未来を展望する際の糧かてともなっている。

近年、日本の経済界は目前のことばかりに目を向けて、50年、100年単位の射程で社会を考えることが失われてきたように感じる。地球温暖化にしても食料危機にしても、やがては間違いなく自らに降りかかることである。未来を見据えて、社会がどうあるべきかを精査、検討したうえでメッセージを発信するのは、経済人の重要な役割ではないか。

経済人ばかりではない。政治家もメディアも有識者も。50年後の日本の姿について、国民にわかるように語ろうとしていない。なぜ社会の将来像が語られないかというと、誰も正確な羅針盤をもっていないからである。その結果、日本が将来に向かう姿は、「海図なき航海」を続ける船そのものといえる。

私は人口問題や環境問題に関しては素人である。だが素人は素人なりに、未来への海図の一端を示すことは、この時代を生きてきた者の使命だろう。私たちは自分の子供たちの世代、孫たちの世代に負の遺産を押しつけてはいけない。

私は各省庁や関連団体、あるいはその分野の研究者を訪ね歩いて、最新の情報と専門の知見に触れることに努めた。それを、このささやかなる一書にまとめて世に問うことにした。

平穏な日常を過ごしている人びとにとって、50年後の未来は自分とは関わりのない遠い世界のことだと思っているかもしれないが、本書が目前に迫る地球の危機について考えるきっかけとなることを願う。いまこそ人類の英知が試されるときである。

著者紹介

丹羽宇一郎(にわ・ういちろ)

公益社団法人日本中国友好協会会長

1939年、愛知県生まれ。前・中華人民共和国駐箚特命全権大使。名古屋大学法学部卒業後、伊藤忠商事株式会社に入社。98年に社長に就任すると、翌99年には約4,000億円の不良資産を一括処理しながらも、翌年度の決算で同社の史上最高益を計上し、世間を瞠目させた。2004年、会長就任。内閣府経済財政諮問会議議員、日本郵政取締役、国際連合世界食糧計画(WFP)協会会長などを歴任ののち、10年、民間出身では初の駐中国大使に就任。12年の退官後も、その歯に衣着せぬ発言は賛否両論を巻き起こす。現在、早稲田大学特命教授、伊東忠商事名誉理事。著書に、『中国の大問題』(PHP新書)など。

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