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松下幸之助と「伝説の熱海会談」~一流の決断とは

土方宥二(霊山歴史館館長、パナソニック客員)

2016年04月06日 公開 2022年07月11日 更新

全員出席にこだわり現金取引の重要性を強調

松下幸之助と熱海階段

熱海会談には、松下電器の役員と事業部長、営業所長が全員出席しました。一方、販売会社・代理店の社長や会長といった責任者にも、全員集まっていただくことになっていました。

ところが当日、重要な人物が2人欠席されている。最も長く大量の債権をお持ちの代理店と社員の不祥事で大赤字を出した代理店の社長です。幸之助会長が営業本部幹部を厳しく叱責され、お2人に再度お願いして出席いただきました。それほど責任者の出席にこだわられたのです。

会談においてまず訴えられたのが、手形の乱発をやめ、現金取引にすることでした。ホンダの例を挙げ、「経営悪化に陥ったホンダは、決死の覚悟で過去の手形も現金に換え、当月からすべての代理店が現金取引に転換したことによりよみがえった」と、何ごともなせば成ることを話されました。幸之助会長は、資金の回転も非常に重要であると考えておられました。

 

会談が行き詰まるかに見えた3日目、幸之助が立ち上がる

また、幸之助会長は自主責任経営を強調されました。販売会社・代理店の方が経営の苦境を訴えたところ、幸之助会長は170名ほどの出席者に向かって、「毎日の売上を認識している方は手を挙げてください」と聞かれたのです。パラパラと20ないし30名ぐらいの方が挙手されました。続いて「今期、利益が出ると思う方は手を挙げてください」と聞かれると、同じ方々が手を挙げられました。

売上というのは販売会社・代理店の命です。その毎日の売上を9割近くの責任者がご存じない。幸之助会長いわく、「だから赤字なんです」と。売上や利益をしっかり認識し、経営者としての責任を自覚する。(松下電器に頼らずに)自分で経営の策を考え、決断を下す。そういう自主責任経営の意識を持つべきだと。

とはいえ、販売会社・代理店の松下電器に対する苦情や批判は2日目の夜になっても収まりませんでした(実質的な会談は2日目午前から)。ついに3日目の午前11時になったころ、突然、幸之助会長が立ち上がりました。そして、1936(昭和11)年にナショナル電球を売り出したときの話を始められたのです。

当時、マツダ電球というのが最高級品とされ、それ以外の電球はマツダの7掛けぐらいで売られていました。しかし、幸之助会長の方針は、マツダ電球と同じ値段をつけること。そこで、代理店の皆さんを、こう説得されたそうです。

「今、松下電器は相撲で言えば、まだまだ幕下のいちばん下のほうです。しかし、いつか横綱にしていただきたい。横綱のマツダと対等に相撲を取らせていただきたい」

続けて幸之助会長は胸の内を率直に打ち明けました。

「この30年間、皆様方には、マツダと同じような値段で売れるよう、非常に努力していただきました。それにもかかわらず、私どもは、ものの見方、行き方を誤りました。ほんとうに申し訳ないことでございます。松下電器は感謝報恩の念を忘れておりました」

そこでフッと言葉が止まります。すると、ポケットからハンカチを出して、涙をふかれました。30秒ぐらいでしょうか、会場が静寂に包まれ、販売会社・代理店の方々も目に涙。

「共存共栄の心を説きながら、それを忘れてしまい、経営悪化を招きました。きょうから松下電器は生まれ変わります。松下電器全社員を挙げて、皆様方のご意見を聞き、真剣に対応をいたします」

そう決心を述べられて、3日間の熱海会談は終わったのです。

 

著者紹介

土方宥二(ひじかた・ゆうじ)

霊山歴史館館長、パナソニック客員

1933年新潟県生まれ。1958年松下電器産業(現パナソニック)入社。1990年取締役、94年常務取締役、96年顧問。98年から同社客員。また2000年から公益財団法人霊山顕彰会常務理事、同法人の運営する幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」の館長。

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