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危機対応のプロが教える、修羅場で問われる4つの説明力

2016年11月03日 公開 2024年12月16日 更新

危機対応のプロが教える、修羅場で問われる4つの説明力

※本記事は、小野展克、池田聡著『修羅場の説明力』、まえがきより一部を抜粋編集したものです。

 

あの記者会見の何が失敗だったのか

2016年6月、舛添要一東京都知事が辞職した。

テーマと外れるため、舛添氏の都知事としての実績や力量、人物像などについては、われわれはあえて問わない。

ただ、きちんとした説明力を持っていれば、少なくとも今回の「政治とカネ」の問題で、辞職する必要はなかったことは指摘しておきたい。「修羅場の説明力」というテーマに沿えば、舛添氏の説明力は完全に落第点だ。

「恣意的にではなく、条例やルールに基づいてやっているが、できるだけ経費の削減に努めるよう指示した」

「私はどのホテルに泊まりたいとか一度も言ったことはなく、担当職員が規定に基づいて決めている。それは首相や閣僚が出張に行くときも同じだ」

これらは、2016年4月8日の記者会見での舛添氏の発言だ。

人は得意なところでつまずく─。

使い古された言い方だが、真実が宿っている。舛添氏は、東大法学部を卒業後、パリやジュネーブで研究に取り組んだ後、東大の助教授となる。テレビで、相手を鋭くやり込める論客としての印象が強い。国政に転じてからは厚生労働相を務め、一時は首相候補とまで目された政治家だ。

そんな舛添氏にとって記者会見は、得意分野との考えがあったに違いない。「そもそもルール違反や法律に触れる行為はしていない。記者の質問を論駁するなど簡単なことだ」と考えていたのではないか。

しかし、コミュニケーション力がきわめて高いと自負していたと思われる舛添氏は、4つの力が完全に欠けている。

まず「発信力」について。舛添氏は伝達には「形」があることを忘れている。「自分は悪くない」という自らがつくり上げた土俵にテーマをずらし、本来やるべき、事実関係の解明に向けた説明、誠実な謝罪の姿勢がなかった。それでは「説明・謝罪の基本的な形」に沿った答弁にはならない。目の前の記者に対してではなく、伝達先の都民にどう伝わるのかを十分に計算しなければならないのに、そうした配慮が欠けていた。

「独立力」はどうだろうか。舛添氏のチームやブレーンには、独立した知見を持って、最適な説明方法をアドバイスする人物がいなかったのだろう。イエスマンばかりで周辺を固めていたのでは、危機時に適切な説明力は発揮できない。

そして「情報力」。記者たちの情報源がどこにあり、次にどんな手が繰り出されるのか。野党は、どのポイントを攻め込んでくるのか─。こうした「敵方」の戦力を分析する情報力が欠けていたように思える。これでは、想定外の弾を打ち込まれ、説明が後手に回り、火だるまになってしまうのは必然だ。

最後に「調整力」。都議会や官邸などの有力者としっかりとパイプを構築して、危機時の落としどころを探る本音のコミュニケーションが舛添氏には不足していたのではないか。本来なら政治家としての長いキャリアの中で、こうした人脈の蓄積ができていなければならない。

 

ビジネスパーソンなら誰もが修羅場を経験する

舛添氏の辞任劇は決して他人事ではない。職業人として活動していれば、誰もが修羅場の説明力を求められる。それをあなたのピンチとせず、チャンスに変えるお手伝いをするのが本書『修羅場の説明力』の最大の狙いである。

「記者と犬には背中を見せてはいけない。私は先輩広報マンから、こう教わったんだ」

まだ私が20代前半の若手記者だった頃、ベテラン広報マンから、こんな言葉をかけられた。

駆け出しの記者に、ベテラン広報マンが、広報の心得を説く裏には、どんな意図があったのだろう。君に背中を見せる広報マンがいたら、犬のように食らいつけ。そこにはいいネタの端緒がある─。ジャーナリズムの世界に入ったばかりの若者に、この世界で生きる心構えを伝えてくれたのだろうか。それとも、「君の前から決して逃げたりしない」と若い記者に宣言することで、ベテラン広報マンが自らへの戒めとしたのだろうか。

今や私も、ジャーナリストとしてベテランと呼ばれる領域に入り、しばしば若い広報パーソンに、記者との付き合い方のポイントを尋ねられるようになった。

そんなとき、私は、最初に必ず、こう話すことにしている。

記者と犬には背中を見せてはいけない─。

大学を卒業して、事件担当の記者になって2週間ほどたったばかりのある日、警察幹部に、こんなことを言われた。

「君が悪い奴じゃないというのはよくわかった。でも、君は、このままじゃ、永久に特ダネは書けない」

見よう見真似で、夜討ち、朝駆けを繰り返していた私に、突き付けられた一言は、胸に深く突き刺さった。

2、3日、悶々とした。指摘された内容があまりに恥ずかしくて先輩記者にも相談できなかった。自分の取材方法の何が間違っているのか。なぜ、厳しい指摘を受けなければならないのか─。その理由がまったくわからなかった。たまらない気持ちを抱えて私は県警幹部に懇願した。

「いったい、どうしたらいいのか教えてください」

「その理由に君自身が気づかなければ意味がない」

県警幹部は、こう言って、私を突き放した。

しかし、その答えは、激しい取材競争に放り込まれる中で、じきに見出すことができた。情報=ネタの本質は「交換」にあるということだ。この点に私は気づいていなかったのだ。安易な「問い」の繰り返しだけでは、情報の質が向上しないどころか、何も得ることはできない。

20代後半の頃、霞が関の主要ポストを歴任、記者との付き合いも豊富な官僚OBから、こんな言葉をかけられた。

「君に、特ダネを書くコツを教えてあげよう」

色めき立つ私に、この官僚OBは、少しの笑みと挑戦的な目線を投げかけながら、こう語った。

「それは、記事を書かないことだよ」

この謎かけのような官僚OBの言葉の本当の意味に、ハッと気づいたのは、それから数年を経た後のことだった。

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