「もう一人の自分」が囁き出すと文章が自然に生まれてくる
筆者は、毎週、エッセイ・メール『風の便り』を、何万人かの読者に配信しており、また、毎月、連載エッセイ『深き思索、静かな気づき』を、ある雑誌に寄稿しているが、これらのエッセイを読まれた方々から、しばしば、次のような質問を頂く。
「どこから、そうした新たな発想が生まれてくるのか」
「どうすれば、そうした深い思考ができるのか」
そう言って頂くことは、大変、有り難いが、自分自身は、いまだ、文章を通じて思索を深める修業を続けている身であり、そうした新たな発想や深い思考ができているかについては、『深く考える力』(PHP研究所)を読んで頂き、謙虚に読者諸氏の判断に委ねるべきであろう。
しかし、もし、自分に、少しでも発想の新しさや思考の深さというものがあるならば、その理由は、ただ一つ。
自分の中に「賢明なもう一人の自分」がいることを、深く信じているからであろう。
そして、その「もう一人の自分」に叡智を貸してもらう技法を、ささやかながら身につけているからであろう。
例えば、一つのテーマで文章を書くとき、どうするか。
多くの人は、文章を書くとは、次のようなことであると思っている。
(1) まず、そのテーマについて、頭の中にあるアイデアを、一度、メモなどの形で、すべて外に出してみる。
(2)次に、そのアイデア全体を眺め、整理し、考えをまとめる。
(3)そして、その考えを、論理的に、分かりやすく、文章にしていく。
それが、多くの人にとって、文章を書くときの方法であろう。
しかし、私にとって、文章を書く方法は、少し違う。
上記の方法の(1)と(2)までは、同じである。
しかし、次に、その考えを、論理的に、分かりやすく文章にしていこうとすると、自分の中の「賢明なもう一人の自分」が囁き出す。
「その論理展開ではない。この論理展開で書くべき」
「その視点ではない、この視点で書くべき」
「そのアイデアではない、このアイデアを使うべき」
「そのエピソードではない、このエピソードを使うべき」
そして、この「もう一人の自分」が囁き出すと、なぜか、その囁きに素直に従おうという気になり、そこから本格的な執筆の作業が始まり、一つの文章が自然に生まれてくる。
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芥川賞受賞作家・遠藤周作に囁いた「もう一人の遠藤周作」