話題のLGBT映画『カランコエの花』監督・中川駿 「傷つけるより離れるほうが寂しい」
2018年09月27日 公開 2018年09月27日 更新
友人がLGBTだと分かった時に、感じたことを素直に受け入れる
映画『カランコエの花』より
――確かに、この映画は、LGBTの当事者の目線ではなく、当事者を取り囲む周囲の視点で、終始、物語が進んでいましたね。
(中川)そうなんです。この物語は、とある高校で突然LGBTの授業が行われたことによって、「この中にLGBTの生徒がいるのではないか」と、生徒たちの犯人捜しが始まってしまうというストーリーです。
もちろんLGBTの当事者が登場しますが、その当事者を取り囲む生徒や先生の目線や言動をより自然なものにしたいという気持ちがありました。
基本的には各シーンの役割や約束事は決めておいて、「それ以外は好きにやっていいよ」と役者に伝え、ほとんどハンディ(カメラ)で役者の動きに合わせて撮影をしていました。だから僕たちスタッフも役者が次に何をするか分からないんですよ。
また、映画を撮るにあたって、LGBTの方への取材等も一切行っていません。本当に、ありのままの私の心情を描きだしたかったのです。
――差別心を一切持っていないと自負する人であっても、もし映画と同じ環境のクラスの生徒であったら、どうなるか分からない怖さを覚えました。エンドロールにも考えさせられるものがありました。
(中川)この映画では、周囲の人が具体的にどう振る舞ったら正解かということは描いていません。
それ以前まで、友人として普通に接していたのに、LGBTだと分かった途端、相手を見る目線が変わってしまうことは誰しもにあり得る話です。映画を観た方自身が感じ取った気持ちを、素直に受け入れてもらえたらと思っています。
エンドロールについてもいろいろな評価をいただいています。
それぞれのシーンを、それぞれの人が自由に感じ取ってほしいというのが僕のスタンスです。
僕はもともと、映画に音楽を入れるのが好きではありません。悲しい音楽を入れことによって「このシーンでは感動しろ」「悲しめ」と観客の感情を強制したくない。
実際に映画を観ていただければうれしいのですが、エンドロールについては、こういった僕の映画に対する考え方が表れています。
ひとつ監督として観客の皆様にメッセージを送らせて頂くとしたら、この映画を観て「失敗から学ぶことを大切にしてほしい」ということです。